世界の食料事情~「もったいない」の実践を(1)増え続ける世界人口を養うために

表紙これは、2013年1月に発表されたレポートGlobal Food-Waste Not, Want Notを、発行元である英国のInstitution of Mechanical Engineersの許可を得て和訳したものです。2013年3月に以前のブログでPDFを掲載しましたが、もう一度多くの人に知ってほしいと思い、数回に分けてテキストで掲載しようと考えました。私が食品ロスの問題に関心を持ち、基本的に菜食生活となるきっかけを作ったレポートです。

食料生産・流通にも電力を始めとするエネルギーは欠かせません。原発問題を考える際にもひとつの要素になるかと思われます。

オリジナルの英文レポートはこちら⇒ GLOBAL FOOD WASTE NOT, WANT NOT . 

(オリジナル英語版に章番号は付いていませんが、ここでは分割掲載のため便宜的に付加しました。またオリジナル版に掲載の参考文献一覧は和訳していません)

 


1.増え続ける世界人口を養うために


地球上の人口は現在70億人以上と推定されている。国連の中位推計では、2075年にかけて95億人のピークを迎える予想だが、もっと大胆な計算では142億人まで増えるという予測もある。しかしこうした総数だけでは、世界各地で起こる空間的変化や人口動態についてはわからない。実際、今後数十年の人口増加率や年齢構成の変化、社会経済的発展には、地域によって大きな違いがある。そこで機械エンジニア協会は、経済開発の段階ごとに異なる社会的特徴に基づいて世界を3つのグループに分けた。

  • 産業化を経て開発の進んだ成熟社会。たとえばヨーロッパ諸国など。人口は横ばいか漸減傾向で高齢化が進む。
  • 現在産業化が急速に進む、発展の後期段階に入った社会。たとえば中国など。人口増加率は鈍り、富裕層が増え、平均年齢も上昇していく。
  • 産業化が始まりつつある開発初期段階の社会。主にアフリカ諸国。人口増加率は非常に高く(2050年までに2~3倍)、若年層が圧倒的に多い。

21世紀の人口増加に最大の影響を与えると予測されるのが3番目のグループである。

95億人に向かって増え続ける人口に対応する食料需要を満たすには、物理的・政治的・社会経済的に多くの課題が待ち受けている。現実的な解決策を見出すには、科学者や農業従事者の努力とともに、技術者(エンジニア)たちがその持てる技術と知識を広く社会に還元し、創造性を発揮して革新的で持続可能なアプローチを提供していく必要がある。

立ち向かうべき課題のスケールの大きさを示すもうひとつの数字がある。人口増加に伴い、農産物の需要が今世紀半ばまでに70%増える、という長期予測だ。同時に、国々が豊かになるにつれ、穀物中心の食生活から動物性食品の大量消費へのシフトが起きる。今後40年で、動物性食品からの摂取カロリーは、世界平均で一人1日440Kcalから620kcalへ40%増えると予想されている。これは国・地域によって大きな差があり、たとえば東アジアおよびサハラ以南アフリカでは、一人当たり食肉消費の増加は重量ベースでそれぞれ55%と42%と予想されるのに対し、欧米を含む先進国では14%程度である。

今日までの歴史が示すのは、人口増加と食生活の変化に対応し、人類はエンジニアリングと科学の力で食料増産のための技術革新を行ってきたということである。たとえば1960年から2000年の間に、アジアとラテンアメリカにおけるコメ、トウモロコシ、小麦の生産量は66~88%も増加した。このような大量増産を可能にしたのは、高収量品種の導入や化学肥料の使用、収穫物の管理技術の発達である。同じ期間に、一人当たり食肉消費量は世界平均で50%増えており、なかでも東アフリカや北アフリカでは2倍、東アジアでは3倍に伸びている。

200年前、世界人口がいまの7分の1だったころ、トーマス・マルタス牧師が残した有名な予言がある。それは「将来の人口増加は遅かれ早かれ、飢饉や疫病、大量死の影響を受けるだろう」というもので、これは1960年代のポール・アーリッチの研究にも反映されている。しかしこの予言は、人類の創造力、適応力、創意工夫を前に、まだ現実のものとはなっていない。

今日すでに増産の余地があることが判明している地域もある。たとえば、今後最大の人口増加が見込まれるサハラ以南のアフリカでは、土地養分の枯渇を防ぐことができれば穀物生産を今の3倍に増やすことが可能とされている。これはニューヨークのコロンビア大学ミレニアム・ビレッジの研究によるもので、現在1ヘクタールあたり1トンと1960年代の水準にとどまっている収穫高を、3トン以上に増やせるというものだ。これは主に、施肥の管理技術の向上や品種改良、さらに最新のエンジニアリング技術と農業経済学の導入によって達成される。実際、この研究に参加した村では、年間の自家消費分以上の食料を収穫することに成功したという。

同様にマラウィは、政府が推進した品種改良と肥料使用によってトウモロコシの生産を3倍に増やし、同国は食料被援助国から食料輸出国、さらに食料援助国へと変貌をとげた。こうした例が示すのは、サハラ以南のアフリカにおいては、科学とエンジニアリングに基づく環境負荷の少ないグリーン革命によって、食料安全保障が大幅に改善される可能性があるということである。

こうした貧困国における農産物の増産は、世界規模の食糧危機に対する適切な対策である、という点では農業生産者も政策立案者も合意しているが、その推進を妨げるいくつかの問題がある。

  • 農業に利用できる土地面積の減少。環境破壊、気候変動の影響、エコシステム破壊防止のための諸制限のほか、バイオマスエネルギーや都市化、交通、工業、観光などの土地需要との競合が激化する。
  • 農業に利用できる水資源の減少。地球温暖化で降水が不安定になり、さらに都市開発や工業用の水需要との競合が激化する。
  • エネルギー、とりわけ化石燃料の大幅な価格上昇。簡単に利用可能なエネルギー資源は、需要の高まりとともに枯渇してきている。これは、耕作機械や加工・輸送・貯蔵設備を動かすために直接必要な燃料だけでなく、化学肥料や農薬の製造に使われる大量の天然ガスにも当てはまる。
  • 農業従事者の減少。経済発展に伴い、特に若い世代にとって他の魅力的な職業が増えるためである。

食料増産と同様、こうした問題もいずれ解決できる日がくるかもしれない。しかし、将来への影響を最小限にとどめるためには、同時並行で複数の取り組みを進めることが賢明といえる。その一つが、世界における食料廃棄の現状を把握し、食品ロスの削減を進めることである。

現在、世界では年間に約40億トンもの食料が生産されているが、そのうち30~50%、実に12~20億トンが、人の口に入る前に喪失または廃棄されている。この莫大な量の食品ロスを発生させている原因は複数ある。農業知識の欠如、インフラの未整備や管理手法の未発達、さらには無駄を生む政治・経済・社会的慣習などである。

もし世界人口が2075年までにいまの35%増しの95億人に達するとして、上記の食品ロスをなくすことが60~100%もの食料増産に匹敵するとすれば、どうだろうか?単純にいえば、ロスを削減・根絶するだけで、21世紀の食料需要激増への強力な対応策となりうることは明白である。しかも、食料生産は土地・水・エネルギーなどの天然資源を大量に使用するため、この取り組みは持続可能性の面でも環境破壊リスク軽減の面でも、多大な恩恵をもたらすと見込まれる。

私たち機械エンジニア協会は、将来の世代が十分に食べていくためには、食料生産効率を最大限に高める方法を追求するだけでなく、その食料を人類が余すことなく利用しきるための方策を見出す必要があると考える。この報告書は、エンジニアリングの観点から、もはや容認できないレベルに達している現在の食品ロスの主な原因を探り、それが今世紀予想される人口増加への対応に与える広範囲の影響を考え、鍵となる分野での現実的な解決策の提示および変革のための提言を行うものである。

和訳©中川雅美

 

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「賊軍」の地より

今年は明治維新150年。だけど、これを福島県で言うと戊辰戦争150年となる。

自慢する話では全くないが、この歳になるまで日本の歴史なんてとんと興味がなかった。中学校の勉強はまったく記憶がないし、高校では日本史と世界史は選択制で、私は世界史を選択した。自国の歴史を知らずして世界史もないだろうと今にして思うが、仕方ない。そして最近は、むしろ世界というより人類の歴史、いや地球の歴史、宇宙の歴史のほうに関心があって、読む本もそういう類のものばかりだった。

bosinsensoでも今年はせっかく大河ドラマを毎週見てるし、せめて近代日本が生まれた頃の話をちゃんと知ろうではないかと思い、本を読み始めたのがふた月ほど前。県立図書館に行くと、ちゃんと戊辰戦争150年コーナーができている。もちろん、黒船が来てから明治維新までの大筋はぼんやりと分かってはいたが、何冊か借りて読んでいくうち、おそらく学校の歴史の教科書では触れていないであろうディープなエピソード類にも遭遇。東北、福島県、とりわけ会津の人たちが東京というか「国」(明治新政府のつづき)に対して一種微妙な感情を持っているとすれば(本人たちの自覚があるかどうかは別として)、なるほどこういうことに端を発していたのかと、今更ながら理解した次第である。

戦後、首都圏向けの電力供給地として、水力、火力はもちろん、かの原発も建設され、絶対起きないと言われていた事故が起き、その後の顛末はご存知の通りだが、それをも戊辰から続く被虐の文脈で捉える人がいたとして不思議はないと思える。

そんな150年間の恨み辛みも、それこそ宇宙138億年の歴史から見れば大した話ではないのだけど、人は「我が一生」もしくはせいぜい「我がファミリーヒストリー」というミクロな視点からは逃れられない。

そういえば、私自身、薩摩と土佐は訪れたことがあるが長州はまだ未踏の地だ。日本もなかなか広いから、その地の歴史に育まれ、人々の暮らしの根底を成す通奏低音のような文化や価値観は、いくらネットの時代でも実はそこまで全国均一化されてないんじゃないかと思う。勝って官軍となった地に暮らしてみれば、また違う明治維新、違う日本が見えてくるのかもね。どちらが正しいとかではなく。暮らすのは無理でも、出雲大社詣りとあわせて近いうちにぜひ訪れてみたいと思っている。

極小市民的贅沢

福島市に暮らし始めて2年以上になるが、ここに住んで良かったなぁと思うことが今でもたびたびある。それは「温泉のある生活」だ。思い立ったらパッと風呂道具を持って車に乗り、日帰り温泉へ。極上の源泉掛け流しでひとっ風呂浴び、帰りにちょこっとお茶したり買い物したりしたとしても、全部で3時間あれば足りる。

定番のコースはいくつかあるのだが、最近はまた別のを見つけた。「あづま温泉」という日帰り施設だ。うちから土湯方面へ15分ほど走ると、たまに気晴らしにいく「四季の里」という広い公園があって、その近くに看板が出ているから認知はしていたが、なかなか行く機会がなかった。

看板どおりに国道から曲がり、坂を登っていくとだんだん道が細くなる。あれ、ホントにこれでいいのかな?と思い始めるころ、最後の看板が見えて到着。広い駐車場からは福島市街が一望できる。

この眺めがそのまま露天風呂ビューで、予想以上の気持ちよさだった。源泉は70度という高温らしいが、湯船のお湯はちょうど良く調温されている。飯坂の公衆浴場みたいにアツアツすぎても長湯はできないから、適度な加水は有難い。

この日は昼過ぎまでいちおうPCに向かって仕事していたものの、あまりに天気がいいので外に出たくなり、とはいえ夜は出かける約束があって遠出はできない。じゃ行ったことないあの温泉に行ってみよか、となった次第。平日の中途半端な時間だったせいか空いていて、途中から露天も内湯も独り占めだった。

なんか、贅沢。ま、入湯料350円だから娯楽として特に贅沢なわけじゃないけど、私はこれで十分贅沢だと思える。露天から見下ろす福島市内は、実り始めた田んぼの黄色が印象的だったが、夜景は夜景で(まあ函館や六甲山とは違うだろうが)それなりにきれいだろう。空を仰ぐと、15時を回った太陽はもううっすらと夕方の気配を醸し出している。この時期の陽はつるべ落としとはよく言ったものだな。あーチョー気持ちいー

などと身も心もダラダラに緩まりつつ、一方で平日昼間からこんな贅沢してなんかバチが当たるんでは?と一種「ヤマシイ感」が抑えられないのも、まだ残るサラリーマンの習性ゆえかw

と、ここまで書いて「小市民的贅沢」というタイトルを思いついたのだが、小市民=プチブル、中産階級だとすれば、いまの自分は果たして中産階級なのかと自問する。年収は確実に低所得層の仲間入りをしているので、すでに小市民とも言えないのかもしれない。極小市民かな(笑)

でも、こんな気軽に極上温泉に浸かりに行けるなら、べつに極小でも私にとってまったく不都合はないのである。とにかく健康ならばなんでも良し。Life is good in Fukushima ! ^^/

もうすぐ昼夜の長さが同じになる頃

多少涼しくなってきたので、朝のゴミ出しついでの散歩を再開した。コースはいつもの荒川土手である。ゴミを出すのは週に2 、3日なのだが、その間にも土手の景色はどんどん変わっていく。

昨日は、生い茂った草の間に真っ赤な彼岸花を見つけて驚いた。もうそんな季節か。いや、まだちょっと彼岸には早いぞ。その向こうには、いつの間にか萩の花も咲いている。

私が名前を知っている植物はそのぐらいだが、他にも前回は見かけなかった白いのや黄色いのが、其処此処で小さな花びらを広げていた。雑草と一括りにされるぐらいだから、みんな姿形は控えめだが、これが自然というものだろう。花屋で売っているような大きく立派な花は、人間がいじくり回した結果なのだ。

だいたい日本人が大好きな「里山の風景」だって、手付かずという意味の自然とは程遠い。青々とした田んぼなどは「人工的」風景の最たるものだ。あれを「自然」のままにしておいたら、あっという間にこの荒川土手のような草ボーボーになってしまう。

めぐる季節とともに、生えてくる草、枯れていく草。咲き誇る花、萎れていく花。みな時期というものを心得て、それぞれの短い生を淡々と全うしている。

そうありたいもんだね。なんて思うのは、だいぶ歳とった証拠である。

(今回の写真は撮り下ろしではなくフリー素材を借用)

釜石の夜に

仕事で岩手県釜石市を初めて訪れた。同じ東北でも、福島駅から電車に乗って片道3時間半ほどかかる。じっくり取材しようと思ったらとても日帰りでは行かれない。東北は広いのだ。

この釜石をはじめ、大槌、陸前高田、大船渡、気仙沼、南三陸、石巻・・・東日本大震災のとき連日ニュースで報道された地名はたくさんあるが、その正確な位置関係を言えるのは、実際に行ったことのある人だけだろう。私はこちらに来てまずは福島県沿岸の市町村の配列を覚え、ここ1年ほど取材仕事のご縁で宮城県沿岸の地理がわかり、そして今回は初めて岩手県沿岸の自治体の位置を、ちゃんと把握することができた。

IMG_4305さて、初釜石の夜は、取材をアレンジしてくれたホストの皆さんと一緒に、地元の居酒屋で食事をしたのだが、そこに、はるばる東京からやってきたと言う老夫婦がいた。震災以来毎年、福島~宮城~岩手と大震災の被災地を訪ねているのだそうだ。今回も5日間かけて、国道6号を北上してきたという。福島は地震と津波と原発事故の三重苦で大変なんだよ、浪江町なんてまだ帰れない所があるんだよ、などと話していた。「わたし、その浪江町役場で去年まで働いてたんですよ」などと喉まで出かかったが、やめておいた。

八十歳になるという旦那さんと側でニコニコしている奥さん。「もう歳だから、あんまりたくさん飲み食いができなくて」と店主に申し訳ないといい、その場にいる客全員に一杯ずつご馳走してくれた。

おそらく彼らは、見聞きしたことをバンバンSNSで発信するようなことはしないだろう。でも、毎年同じ場所を訪れ、現地の居酒屋で食事をし、そこにいるみんなにお酒をご馳走し、頑張れと言って握手をし、さらりと帰っていく。おそらく行く先々でそうしていると思う。

世の中にはこんな人たちもいるのだ。

なんだかいい気持ち。

ビールごちそうさまでした。(写真はその後にいただいた釜石唯一の地酒、浜千鳥)

※後日一部加筆しました