女ひとりで京都にいった理由

京都にいってきた。

高校時代の友人がやっているロシア料理の老舗、キエフというレストランで、毎年この時期、原田真二さんのディナーライブがある。福島生活初年度の昨年はスキップしたが、今年は2年ぶりに参加を決意。初めて夜行の高速バスに乗って京都へ向かった。この夜行バス、新幹線より4割安いし、なにより寝てる間に移動できるというのは効率的。どんな環境でもぐっすり眠れる人なら断然おススメである。が、オバサンにとっては正直そろそろ体力的にきつい感じがしました、はい。

さて、音楽家の原田真二さんですが。

1977年のデビュー当時はアイドル扱いでテレビに出まくっておられたので、私の世代ならだれでも名前は覚えてると思う。私がつたない紹介をするのもなんなので、プロフィールやディスコグラフィは公式サイトをご覧いただくとして、何が言いたいかというと、この方デビューして38年間、ずっと同じメッセージを歌い続けているんである。それも平和とかやさしさとか、愛は地球を救う的な、ストレートに言われると少々照れくさいようなメッセージ。

かくいう私も、実は途中30年ほど彼の存在を忘れていたのだが、大震災のあった2011年になぜか突然思い出し、そこから「失われた30年」を一気にキャッチアップしてみて(動画サイトよありがとう)、びっくらこいたのである。この人、ずーっと同じこと言ってると。もちろん年代によって言葉遣いや音の作り方は変わっているのだけど、コアは同じ。音楽で世の中を良い方向に変えられると本気で思っている。とことん性善説。とことんポジティブ。実際、彼の楽曲で聞いていて暗くなるものは一つもない。

なにごとも自分の心次第で見え方が変わるとか、宇宙の視点を持つことの大切さとか。逆に、二十歳そこそこの若者がこういうことを歌っていたというのもスゴイよなと思う。愛と平和みたいな直球を投げる人をナイーブと呼ぶのは簡単だが、シニカルに構えるだけで何もしない人々より私はなんぼか尊敬する。

東日本大震災で原発が爆発したとき、私は福島から200キロはなれた東京で生活していた。東京でもみな大なり小なりストレスを受けたと思うが、私はあの数週間、身体はもちろん心までカチカチになってしまって、苦しくてしょうがなかった。そのカチカチの正体は「怒り」だと気づいて、いろんなものを赦さなければと思った。国も東電も赦そう、買い占めに走る人々も、彼らを赦せない自分も、みんな赦そう、などと当時facebookに書きこんだのを覚えている。でも怒りをリリースするってなかなか難しい。

そのとき三十数年ぶりに聞いた曲が、原田さんのcarry onという曲だった。

Carry on, carry on 動き続けろ 悩みと憎しみ捨てて

Carry on, carry on 愛し続けろ あなたは微笑む、必ず

…けだし名曲。これを聞いてなんだか救われた気がしたのだ。(聞きたい方はググってください。似たタイトルの曲もあるのでご注意を)

DSC_1537その後2年は、追っかけというには程遠いがけっこうライブに通った。ライブで原田さんは必ず、「一人ひとりができることをやろう、どんなに小さなアクションでも必ずまわりに影響を与える」という意味のことを言う。そして私は、その言葉になんとなく背中を押される感じで、気がついたら福島に来て復興支援の仕事をしていた。

もちろん福島に来たのはそれだけが理由じゃない …というか、すいません少々盛りましたm(__)m が、かなり影響を受けたのは事実。ちなみに原田さんは、現在でも定期的に東北の被災地へ赴いてチャリティライブを行っている。

京都のディナーライブへ行くのは今回が3回目だ。もちろん原田さんが目当てではあるが、半分はそのレストランをやっている友人に会いに行くようなもの。今回も友達の友達の輪がひろがって、かなーり楽しい一夜となった。無理して夜行バスでいった甲斐があったというものである。(写真は二次会のお茶屋さんにて)

以上、本日は私の地方移住のきっかけのきっかけのお話でした。

広告

福島でかい

何度もいうが、福島は広い。北海道、岩手に次ぐ3番目に大きい県なのだ。39903[1]新幹線が通る郡山~福島を中心線(いわゆる中通り)として、そこからたとえば南会津方面に行こうとするとき、あるいは阿武隈山地を越えて海側(いわゆる浜通り)に出ようとするとき、毎度ながらその大きさを感じる。寒いのキライ、なるべく雪から遠ざかりたいタイプの私にとって、冬場に会津方面へ行く必然性は全くないが、いま復興を手伝っている関係で、浜のほうには時々いく用事がある。(地図は福島県のサイトから拝借)

先週末も、南相馬に比較的最近できたセデッテかしまという道の駅的な場所に、勤め先の役場が出展するというのでドライブがてら覗きにいってきた。二本松のわが家を出てからたっぷり1時間40分(途中コンビニには寄ったけど)。郡山―東京の新幹線より長い。途中、いまだ放射線量が高くて通行止めになっている区域もあるので、若干遠回りすることはするのだが、いずれにしても阿武隈山地は侮れない。ワインディングロードももっとスイスイいければいいのだろうけど、残念ながらしんじ君の馬力も私の運転技術も不足している。でもまあ、運転自体は嫌いじゃないので、人間のしんじ君(原田真二さま)を聞きながら、良い車旅となりました。

道の駅というのは正直どこも似たようなもので、商業施設としては産直の野菜、地場の産品、あとは飲食で多少特色あるテナントが入ってるかどうかというところ。こちらに来た当初は行くたびに楽しくて、県内26か所(だったかな)の道の駅を踏破する計画をたてたものの、半分くらいで飽きてしまった。とはいえ、ドライバーにとっては便利な施設であることに変わりはない。セデッテもまあ、ふつうの道の駅だけど、知る人ぞ知る銘菓「凍天」(しみてん)が買えます(ちなみに福島は実はお菓子大国だと思われる。これについてはまた後日)。

DSCN0001[1]着いて早々、寒かったのでレストランで天ぷらそばを食べ、役場のブースで休日勤務中の職員にその凍天を差し入れたら、あとは特に買うものもないので早々と帰路につく。(写真=起き上がりこぼしに町のキャラクターうけどんの絵を描こうコーナー)

でもせっかくここまで来たので、セデッテから15分ほどの日帰り温泉施設、はらまちユッサへ寄ってみる。福島の海沿いは、内陸と違って温泉がとっても少ない。南に行けば、常磐ハワイアンセンター…じゃなかったスパリゾート・ハワイアンズで有名ないわき湯本温泉があるが、そこから北はほとんど温泉真空地帯だ。競争が少ないせいか、この日帰り温泉は入湯料750円とやや高め(な気がする)。でもお肌すべすべのいいお湯だった。

福島県内だけでもまだまだ行ってない場所がたくさんある。行ったことのないところに行く、通ったことのない道を通る、やったことないことをやる。できれば一日ひとつ。年があけたら道の駅踏破計画、再開するかな~。

バイリンガルは目指せるか

先日、パソコンに向かって「なんだべ、これ」と独り言をいっている自分に気づいた。

福島弁ラインスタンプ1.JPG

イナカにいくとお年寄りの話している言葉がわからない、とはよく聞く。私もそうだった。はじめのころ、自宅近所を散歩していたら、田んぼ仕事をしていたおじいさんが声をかけてくれたことがある。…聞き取れない。一度聞き返したが、やっぱり聞き取れない。いや、聞き取れてはいるが意味がわからない。二度聞き返す勇気はなく、きっと「どこへ行くんだ」と聞かれているに違いないと想像し、「ちょっとお散歩です!」とニッコリ笑って足早に通り過ぎた。おじいさん、なんか妙な顔をしていたような気もするが、よそ者だとわかって許してくれただろう(たぶん)。町の広報誌の取材で80代のご夫婦の話を聞きにいったときも、最初は2割くらいしか理解できず、マジに焦った。2時間も話していると多少は慣れてきたが、それでも地元出身の職員が同行してくれてなければ、原稿は書けなかったと思う。2年近くたった今は、そうだな、7割くらいはわかるようになっただろうか。

一方、若い人たちは、当然みんな地元語と標準語のバイリンガル。大阪人はたいてい誰と話すときも憚りなく大阪弁だが、こちらのみなさんは「よそ者」と話すときと地元同士で話すときでは言葉をちゃんと使い分けている。とはいえ、アクセントの強弱はやっぱり人によって差があって、これがなかなか味があるんだな。

逆に言えば、よそ者は言葉でわかってしまう。もちろん移住者は正真正銘のジモティにはなれないし、なる必要もない。外国じゃないんだから標準語さえ話せればどこへ行っても事は足りる。のであるが、現地の人と「共通の言葉」を持っている、というか持とうとしているかどうかは、ある程度「暮らし心地」を左右するような気はする。

でも外国語と違って学校で習うというわけにもいかず、みな私との会話はほぼ標準語なので、ジモティ同士の会話を耳で聞いて覚えるしかない。なんちゃってジモティへ、ローカル語習得の道は長い。「なんだべ」くらいではまだ序の口だ。

(画像は「イケメンde福島弁」のLINEスタンプ120円。的確な英訳がついていて便利)

おひとりさまの家さがし(1)

先月、東京から友人が遊びにきてくれた。いや、東京からというのは語弊がある。以前、東京の会社でご一緒した彼女は、いま福岡に住んでいる。が、千葉にあるご両親宅にもときどき滞在しているということで、今回は上野から新幹線に乗ってきてくれた。以前の記事でも紹介したことがある単身移住大先輩のMさんだ。でも、移住といっても彼女の場合は移動型。いかにもノマドらしく、近々また関東圏に戻って茨城あたりに住むかもしれないという。

そんな自由人のMさんと、二本松が誇る岳温泉につかって夕飯を食べ、翌日なにをしたかといえば福島市ツアー。といっても観光バスではなく、私のなんちゃって家探しプロジェクトの第一弾、まずは「土地勘の養成・エリア選択」編である。案内役は、職場の後輩のこれまた独身ジモティ女子Sさん。そのタクシー運ちゃんばりの知識で、市内のめぼしいエリアをくまなく回ってくれた。14633264052_2a7a8b8429_c(ちなみに福島県の県庁所在地は郡山でなく福島。人口29万は県内3位でけっこう地味な存在だが、それなりに都会=写真 ©水村亜里 (MINAMURA)さんよりお借りしました)

私と同様不動産大好きなMさんは、このツアーに大喜びで参加してくれ、道中まったく忌憚のない意見をバシバシ述べてくれる。これが大変ありがたい。「あなたのイメージからいうとこの辺」などわりと非科学的なコメントもあるのだが、場所探しには直観も大事なのはたしかだ。それにしてもMさんの大阪人並みのテンポのいい突っ込み。普通に答えてもボケになってしまう私。ハタから見ると漫才だと思う。

そんなこんなで女3人、しゃべりまくり笑いまくって1日が終わる。女は男は、という言い方は好きではないけど、同じ単身でもやはり女のほうが、他人と群れることで生存を図るサバイバル本能が働いていると、思っちゃうんだな。持つべきものは友というが、おひとりさまの不動産探しこそ友の力を借りるべし。

ついでに書くと、福島県内はピンポイントで不動産市場かなりひっ迫している。新幹線のとまる郡山、福島。沿岸は復興の最前線いわき、南相馬。こうした「人気エリア」は特に、売買も賃貸も本当に物件数が少ない印象だ。

「福島は人口減少がつづいている」というイメージは、県全体としては確かに正しいのだが、福島も広い。ピンポイントで事情はかなり異なる。原発事故後に県外に避難した人たちも徐々に県内に戻ってきているのが現状だ。強制避難の人向けには、早く仮設から出られるように県内に復興公営住宅というのが建設されてるのだが、できるのがあんまり遅くて、業を煮やして自分で家を買ったり建てたりする人もけっこういる。元いたところ(原発に近いエリアとか)には戻れない・戻りたくない人たちが、上の4つをはじめとする一部の市町に固まり始めているっていう感じだろうか。それに加えて、除染・復旧工事関係者はもちろん、私のように復興支援で外から入ってきている人もたくさんいる。

数字を調べずに印象だけで書いて申し訳ないが、物件が少ないのは実際に探し始めてみての実感だ。「いい出会い」を気長に待つしかない。人生のパートナーとの出会いには恵まれてこなかったが、不動産との出会いは恵まれてきたのでたぶん大丈夫 ^o^/(自爆オチ)