見てるのに見えてないもの

ところでみなさん、水道や電気、ガスなどの公共料金はどうやって払ってますか?自分の場合、東京にいたときは全部クレジットカードにおまとめし、ちまちまポイントを貯めていました。

で、二本松に引っ越してきてまずショックだったのは、クレジット払いができるのは電気料金だけ、ということ。ガスは銀行引き落としのみ、そして水道料金に至っては、なんと銀行の窓口に支払いにいかなければならないという。あり得ないでしょ?いまは昭和か?最初の請求書を受け取ったときは、真剣に目を疑った。

さらに残念なことに、いまの職場は工業団地の真ん中だから、歩いていける距離に金融機関の出先などない。昼休みに車で片道10分かけて、一番近い地場銀行の窓口まで往復しなければならないではないか。しかも毎月!(東京都水道局は2か月に1度の請求だったもの)この辺の人はみんな平日昼間ヒマなんかい?

…などと憤っていても自分が辛いだけ。料金は東京より2割くらい安いし、夏でもキンキンに冷たくておいしい安達太良の伏流水である(と思い込んでいる)。このくらいの手間は我慢するべし、と自分に言い聞かせ、律儀に銀行窓口に出かけていた。と、今月の請求書を見ると、とうとう「コンビニでのお支払いができるようになりました」の文字が!ああ、この日を待っていた。市役所さんありがとう。

DSC_1581 (1)で、念のため市のサイトをチェックしてみると、あらま、実は昨年11月末発行分からコンビニ払いできるようになっていたらしい。習慣とは恐ろしいもので、請求書が来ても「…できるようになりました」の文字が全く目に入っていなかったのだ。

こういう「見ているのに見えていないもの」は、きっと他にもたくさんあるんだろう。

そういえば昔、シャワーを浴び終わったあと、ふと浴槽に目をやると中にゴキブリが鎮座しているのを見つけたことがあった。もしバスルームに入ったとたんに彼を視認していたら、シャワーを浴びることはできなかっただろう。見えてないものは存在しないのと同じなのだと、そのとき悟った次第である。

でもねえ、この文字、赤色とかで印刷してくれたらもっと目立ったのにねw

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人生すべて、周囲の理解とタイミング

DSC_1574先週、こんどは父が入院した。

去年は母が4か月半も入院し、一時は危篤に。その間ほぼ毎週末二本松と東京を往復して、JRには数十万を支払った。ほかにも駐車場代やタクシー代、それに帰省中は自宅で自炊するのとわけが違うから、なんだかんだで食費もかかる。

親に会いに行くのにお金を惜しむわけではないが、現実問題として、離れた場所にいる親の面倒を見るのはそれなりに経済的負担となる。私が地方暮らしの場所に福島を選んだのは、第一にはたまたま仕事があったからではあるが、やはり東京に近いという理由も大きい。これが同じ東北の被災地でも岩手の北の方だったりしたら、おそらく実行していなかったと思う(それに寒いし)。

四十も後半になれば、友人との会話もだんだん自分の健康と親の病気の話題が多くなり、変な時間に電話が鳴れば「いよいよ来たか」と覚悟を決めるようになる。といっても、私が2年前にお試し移住を始めたころは親はまだ元気でいてくれたので、「親が倒れて駆けつける」というシチュエーションは想像できても現実感は薄かった。

というか、元気だったからこそお試し移住もできたわけで、もし決断が1年半遅れていたら、いま自分は福島にいなかった。こんなたくさんの人に会うこともなかったし、こんなに人へ伝えたいこともなかっただろうし、だからこうしてブログを書いてることもなかっただろう。そういう意味では、あのタイミングで決断しておいて本当によかったと思う。人生、そういうタイミングって何度かあるものだ。

それと、単身移住の可否を決めるのは兄弟の存在。自分の場合、ありがたいことに弟が親の近くに住んでよく面倒を見てくれるので、勝手な姉は「お試し移住」とか言っていられるんです、はい。

幸い、今回の父の入院は大したことなく1週間で帰ってきてくれた。残念ながら親は年取っていく一方なので、これからもあわてて新幹線に飛び乗る機会はあるだろうが、運よく福島にちょうどいい家が買えたら、一度くらいは連れてきたいものだ。

(写真は、正月に実家の近所を親と散歩中に見つけた山茶花)

おひとりさまの家さがし(3)マンション編

一戸建は物件がなかなか出てこないので、まずはマンションでローカル相場を勉強、と書いたが、実はマンションの供給もびっくりするほど少ない。連日マンションのチラシで郵便受けが満杯になる東京と比べてびっくりしてもナンセンスなのだが、それにしてもこちらに住んで2年、「マンションのチラシ」というものを一度も見たことがない。

私が探しているエリアは、新幹線がとまる福島または郡山(ちなみに今住んでいる二本松はそのちょうど中間)。いずれも人口は30万前後の「中都市」だ。オーセンティックなトルコ料理が食べたいとか、スーパーは成〇石井じゃないとダメとか贅沢を言わない限り、衣食に関してはふつうに東京と(ほぼ)同様の生活ができる。地方暮らし=いわゆるイナカ暮らしを望んでいるならもっと辺鄙なところはいくらでもあるが、大草原の小さな家風の自然に囲まれた生活は、はっきり言っておひとりさまには不可能である(と思う)。それに、年老いた両親が東京にいるとなると、いざというとき新幹線に飛び乗れるほうがやっぱり好ましいのだ。

で、この両駅周辺なら企業もそれなりに集積しているし、マンション市場もそれなりに活発かと思うとガッカリしてしまう。まず、エリア選定のみでネット検索して出てくる物件数が一ケタである。それに他の条件を加えて絞り込むと、先々週の段階では福島市内に1件しかヒットしなかった。もちろんネットに載らない物件もあるはずだが、まずは不動産会社にコンタクトしてみないと始まらない。その1件も決して「これは!」と思うものではなかったが、とりあえず内覧を予約した。で、当日行ったら開口一番、「すみません、今朝のお客様がお申し込みされまして…」。これでかえって気が楽になり、いろいろ質問できた。

まず、この地では新築マンションの供給が少ない。バブルの頃は知らないが、今では年に1棟出るか出ないかだそうだ(いま福島で建設中のマンションはゼロ、郡山で2棟)。その理由は簡単で、仕入れができない、つまりまとまった土地が出ないから。さらに郡山と福島を比べると、福島のほうが古くから住んでいる人が多くて、より「閉鎖的」(営業マン談)。いわゆる先祖代々の土地を手放したがらない傾向が強いので、福島のほうがさらに物件数が少ないんだという。利用してない家土地であっても、なかなか他人に貸したがらない・売りたがらないというのは全国のイナカに共通する傾向らしいが、加えて復旧・復興真っ最中のフクシマにはこのところいろんな種類の人々が入ってきているから、なおさら構える地主も多いのかもしれない。

いくら新築は少ないといっても郡山と福島にはそこそこの数の集積があるので、中古なら出るのかというと、これもそうでもない。たしかに郡山あたりでは、震災・原発事故の後、おそらく県外に移住を決断した人たちだろうか、3年目くらいまでは売り物件が多少増えたそうだ。が、それらが一巡した今は、動きが止まっている状態のようである。

DSC_1583ということで、営業マンにはいちおう希望の条件を伝え、午後からは郡山の新築マンションのモデルルームへ。モデルルームなんて十数年ぶりだ。オプション満載・生活感ゼロの美しい部屋にときめいた昔がなつかしい。ここでもいろいろ興味深い話が聞けたが、なにせ売り出し中は2棟しかない。調べればすぐ特定できるので、ここで詳細を披露するのは差し控えるが、とにかく今は売り手市場なんだね、ということは確認できた。

売り手市場になっている理由としては、もともと供給が少ないところに加えて、昨年あたりから顕著になってきたトレンドがある。原発事故で沿岸部から強制避難させられて仮設住宅などに住んでいた人たちが、帰るのをあきらめて中通り(=ざっくり新幹線沿い)家を建てたり買ったりし始めているのだ。なんともやるせない話だが、川内村の避難指示がやっと解除されて帰れるようになったとたん、村の人たちが中通りに家を買い始めたという。もっともこれも営業マンの話だから多少誇張はあるにせよ、指示解除になって戻ってみたら「やっぱりここには住めない」と、かえって踏ん切りがついたという人がいても不思議はないと思う。いままだ8町村に継続している避難指示がこの先順次解除されていけば、同様の現象が起こるのかもしれない。

おひとりさまの家さがしはまだまだ続く…かな?

(写真は郡山のタイ・ベトナム料理店、澤上商店。こちらにはいわゆるエスニック料理店が少ないので、機会があるとあまりお腹が空いてなくても食べてしまうw)

おひとりさまの家さがし(2)

DSC_1585「蔵のまち」といえば、福島では喜多方が有名だが、実は蔵のあるお宅自体はここ二本松あたりでも大して珍しくない(写真はご近所散歩中に撮影)。ただしそのメンテナンス状態はピンキリで、大きなものだと改造していわゆる蔵カフェになってるところもあるし、住居や倉庫として現役で活躍してそうなものから、完全に敷地内廃墟状態のものまでさまざまだ。が、いずれにしても先祖代々の土地だということはよくわかる。

Uターンしたジモティ君に聞いたところによると、イナカの常識として、男子たるもの、受け継いだ土地に建物をひとつ増やして一人前なんだそうだ。一代目で母屋、二代目で離れ、三代目でお蔵。四代目は何を建てるのか知らないが、なにしろ相当広い敷地でなければならない。

さて、私の家探しは、せっかく地方に来たのだから都心では絶対買えない一軒家、が第一希望である。ただし、おひとりさまにとって蔵が建つような広い土地は維持管理が大変だ。余計な税金も払いたくないので、せいぜい敷地は120平米、延床は80平米くらいでよいのだが、そんな「極小物件」を見つけるのは至難の業だということが、だんだんわかってきた。東京都心では、大きなお屋敷が相続された跡地にペンシル3階建てが無理やり6棟くらい建つが、こちらでは分割したとしても一筆が150平米を下回るようなことは、ほぼないらしい。

まあ、土地が余れば小さな畑でもやるとして、手ごろなサイズのお家が出てくるのを気長に待つ気はあるのだが、新築も中古も、そもそも市場に出てくる物件数が(当たり前だが)東京より断然少ない。ということは数をたくさん見ることができない。

そこで、慣れない一軒家よりまずは経験のあるマンションでローカル相場を勉強することにして、先週末は久々にマンション見学に行ってきた。1つは中古、1つは新築。それぞれの営業マンに聞いた福島県中通り(福島市・郡山市)のマンション事情を、自分の記録がてら書いてみる。(次回につづく)

おひとりさまの家さがし(1)

いわきの話

先月末、いわきに行った。あの常磐ハワイアンセンター(どうしても昔の名前で呼びたい50代)あらためスパリゾート・ハワイアンズがある、いわきである。私の住む二本松から約100キロ。高速で1時間半、下の道なら2時間以上。間違って電車で行こうとすれば半日かかる。東京に行くより遠い感覚なので、仕事の必要でもなければめったに行かない。が、今回は覗いてみたいイベントがあったので、気分転換の一泊旅行にしてみた。

ちなみに、いわき市の久ノ浜というところには母方の遠い親戚が住んでいて、小さなころ遊びに行った記憶がおぼろげに残っている。私が生まれた年=前回の東京オリンピックイヤー時点では、まだ久ノ浜町という独立した自治体があったらしいが、2年後の1966年になんと14市町村が合併して、福島県最大の面積を持つ現在の「いわき市」になったんだそうだ。いまでは原発南側の復興最前線。いわき市自身も大きな津波被害を受けつつ、原発避難者もいちばん多く受け入れている。復旧作業関係者のベースも多い。このご時世に人口が減らずに増えているという、ある意味「特別な」自治体である。

そのいわき市では、いわゆる「復興界隈」のイベントが頻繁に催されている。私が今回覗いたイベントでも、2030代そこそこの若者たちが、被災した地域を元気にしようといろんなアイデアをプレゼンしていた。たのもしいことだ。オバサンにとってもネットワーキングは大事なので、アフターの懇親会にも参加したかったのだが、なぜかその日に限ってめずらしくお腹が痛い。お昼にいわき在住のYさんと久しぶりにランチしたのだが、そのカレーライスがいけなかったのかしらん?仕方ないので予約してあったホテルに戻り、しばらく安静。夜になってトイレに行ったら治った(笑)。(笑)で済んでよかったが、一人旅中に具合が悪くなるほど面倒なことはない。整腸剤くらいは持参しなければと反省。

DSC_1547さて翌朝は、小名浜の観光スポット「アクアマリンふくしま」へ。こちらもしゃれた名前になっているが、要は水族館である。10時前に入場したら、まだ人は少なくゆっくり見学できた。全体に結構見ごたえのある展示内容だと思う。イルカやシャチのショーといった「出し物」はないが、だからかえって動物愛護団体の抗議活動の対象にならなくてすんでいるのだろうか。同じ哺乳類のアザラシやトドはいたけどどうなのかしらん。水族館や動物園についてはいろんな意見があろうが、子供たちに(たぶん大人にも)生物多様性というものを教える教材として、やはり一定の意義はあると思う。「人類は人類だけでは生きられない」ということを学んでこそ、展示されてる生物たちの労も報われるというものだろう。

…などと考えながらじっくり見てたらお昼近くに。いわきと言えばやはり海産物だが、もともと魚介は積極的に食べない上に昨夜の腹痛の記憶も新しいので止めておく。いわきグルメレポートは次回のお楽しみに…