スマホ機種変して思うこと

先日、3年ぶりにスマホを機種変した。当時のアンドロイド機はホームボタンや戻るボタンが画面の外にあって(物理的に押下するやつ)、とうとうそのボタンがめり込んで押せなくなってしまった。それが第一の理由だが、もうひとつの理由は画面が小さくて見づらくなってきたこと。

「老眼」という字をこうやって打ってみると、改めて嫌な言葉である。痴呆とか障害と同様、別の呼称を考えた方がよいと思う。老人→高齢者、老齢→高齢、老眼→高眼。いやダメだ。エイジング肌とかいうから、エイジングアイはどうだろうか。同じことを考える人は当然いるはずなので、「老眼 別の言い方」でググってみると、「シニアアイはどうでしょうか」というページが出てきた。うむ、どうしても日本語にはならないらしい。いっそのこと英語でなんというのかと思うと、Presbyopiaプレスバイオピアという言葉はあるらしいが、なんだか厄介な病気の名前みたいだ。おそらく日常的には使わない単語と思われる。

まあそんなことはどうでもいいが、新しいAQUOSはおかげさまで画面が大きくて少しは見やすくなった。めり込んでしまうようなボタンや、はがれて糊で貼り付けたりする部品もなさそうだ。4Gはさすがに速いなと思うが、困ったことに4Gになるとネット放題プランがないという。スマホに月1万円以上払う気にはどうしてもなれないため、2GB上限のライトプランにして、ふだんは3Gで使っている。アホかと思われるかもしれないが、たくさん動画を見るわけでもなし、日常生活にはまったく困らない。ガラケー+タブレットも考えたが、こうして文章を打つためにどうしてもラップトップは必要だから、3台持ちを避けるにはやっぱりスマホ。

しかし人間、いつ頃からこんな「いつもつながってる」ことが大事になったんだろう。我ながら不思議だ。ほんの30年前、私が社会人になったころは、携帯電話すらないポケベルの時代だったのに。もちろん、こうしてネットでつながることで、物理的な距離がネックにならない場面が増えたのは事実。私が福島に来た後も、東京のみならず各地の友人と「ふんわり」つながっていられるのはSNSのおかげだ。直接会う機会が減った寂しさを、半分くらいは補ってくれていると思う(残りの半分は、こちらに来てから知り合った知友人との交際で埋まっている)。

ちなみに、機種変するためにアポなしで行った自宅近くのショップは、日曜午後にもかかわらず待ち時間ゼロ。同じく日曜夕方の家電量販店も、東京暮らし時代の最寄りの大型店では相手してくれる店員を探すのに苦労したが、こちらでは客より店員の数のほうが明らかに多い(少なくとも私が行くときは)。当該企業にとっては課題だろうが、客にとっては快適である。大型チェーンが出店するだけのギリギリの市場サイズがあり、いつもつぶれない程度に空いていて快適、という絶妙のバランスこそ、「ちょいイナカ」生活の良さかもね。

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