書いておきたかったこと

またあの日がやってきた。

このブログは、お気楽おひとりさま移住生活 in 福島を綴る日記なので、震災とか避難とか放射能の話は普段ほとんど触れていない。けれども、私がそもそもこちらに来るきっかけは、やっぱり東日本大震災と原発事故だったし、いまでも避難してる自治体の手伝いとか、強制避難が終わってもこんどは超過疎・高齢化の中でがんばってる若者の手伝いとかしてるし、そういう意味では震災と事故があったからこそ引き続きこちらで仕事にありつけているという面もあるし、だから私にとって3月11日は、巷でいう単なる「××周年」よりも、もうちょっとだけ意味がある。だから今回だけは、このテーマで書こうと思う。

DSC_1079全町避難の浪江町役場に期限付きの支援に入って丸3年。今月末はいよいよ、町の一部で避難指示が解除される。3年前は、解除目標の「平成29年3月」なんて永遠に来ないような気がしたし、私自身もそのころまで福島にいるとは思わなかった。でも、今年の3月11日を福島で迎え、6回目(私にとっては4回目)の町の追悼式をここで見て、まもなく(たとえ一部でも)避難指示が解除される日に立ち会うことができるのは、これもご縁というほかない。それを見届けて、私の浪江町役場でのお手伝いはひとまず終わる。

福島に来るまで四半世紀の仕事人生、基本的にはずっと「稼いでナンボ」の世界で生きてきた。その世界の住人が国の経済を引っ張っているのは事実なのだが、しかし世の中には「稼いでナンボ」のロジックだけではどうにもならない現実もある。公というのは本来、そういう部分を担うものだと思う。

自分がまさか公務員になる日がくるとは思わなかったが、この3年間ほんとうにいい経験をさせてもらった。私自身は住民と直接やりとりする場面は少なかったけれど、地方の町や村、つまり基礎自治体の職員というのは本当に住民に近い。職員も窓口に来る人たちも、お互いみんな顔も名前も知っている。それなりの息苦しさはあったかしれないが、やはりのどかな田舎だ。都会の、それこそ生き馬の目を抜くような競争社会と比べれば、地方の小さな町役場など「のんびり」と表現して差し支えない職場環境だったと思う――あの原発事故が起きるまでは。

この6年間、国がいかに立派なお題目を並べようと、現場で踏ん張り、末端の人々の暮らしを支えてきたのは、紛れもなく、浪江町をはじめとする基礎自治体の職員たちである。自ら被災しながら、各方面の板挟みになりながら、住民にとっての「最後の砦」を自覚して、ここまでやるかというくらい身を粉にしている。私は3年間それをこの目で見てきた。

復旧・復興で町の予算は震災前の何倍にも膨れ上がっている。予算を執行するには人手が必要だ。ただでさえ業務量が増えているところに、選挙だ調査だシステム変更だと国政レベルのイベントが容赦なく降りかかる。避難指示が解除されて町内の本庁舎に戻るとなれば、またしても家族と離れ離れになる職員も少なくない。神さまは彼らにどれだけ試練を与えれば気が済むのかと思う。

敢えて言う。「復興」にどれだけ予算をかけても、この地域に被災前と同じ人口が戻ってくることはないだろう。経済合理性を最優先すれば、費用対効果論が出てくるのは当然だ。私の中に残っている「東京人」は、その発想にも大いに賛同する。しかし、ここに生きる人たちの顔と名前を知ってしまった「こちら側の私」は、もう「あちら側」には戻れない。そして、たとえ被災地が元通りにならなくても、新しい現実は日々確実に生まれているのだ。

誤解のないように付け加えると、私が仕事で接する地元の人たちは、役場の人もそれ以外の人も含めて、みな明るい。そして、いい意味で淡々としている。人間、何かものすごいものを突き抜けるとそうなるんだろうか。むしろ、外から「支援」に来たはずの人のほうが精神的に不安定になったりして、支援者の支援というのも本当に必要だなと思う。最近知った「共感疲労」という言葉には、私自身も思い当たることはある。けれども、幸い根が思いつめるタイプではないのと、周囲の人に恵まれたおかげで、私個人のlife in fukushima は今のところ楽しくてしょうがない。不謹慎と言われようが、実際に来て住んで楽しいという人が増えなければ、福島の将来はないこともまた事実であろう。(もっとも、私の生活圏は役場の避難先・二本松市と住居のある福島市の周辺であり、避難区域となった被災地からは遠く離れてはいるが)

このタイミングで福島に来たのは、私の人生でベストの決断だったと断言できる。あのまま東京で仕事を続けていたら、一生出会うことのなかった人々と出会い、知ることのなかった価値観を知り、見ることのなかった世界を見ることができた。その意味では、私は大震災と原発事故に感謝すらしている。

あの日あのときここにいなかった私は、語り部にはなれないという意味で「当事者」ではないし、なる必要もない。しかし「知ってしまった者」の責任はある。いろんなバランスをとりつつ、もうしばらくlife in fukushima を続けようと思っている。

直接死も関連死もふくめ、すべての犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。合掌。


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