ホウシャノウ?ナンダソレハと花は云ひ

バイショウキン?シリマセンネと草は云ふ

「トウホクデ ヨカッタ」ナンテ ソノトオリ

コンナニキレイナ バショダモノ

ここで芽吹いた草木たち 一生ここで仕合はせる

森に変わった田んぼでは

ほうほけきょ きょ ほうほけきょ

ココハ「キカンコンナンクイキ」トカ?

ニンゲンノコトバ ムツカシイ

花も草も木も ただそこに

風に吹かれてそこにゐる

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(浪江町・津島地区にて)

 

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お花見で朝食を

東京で花見といえば通常、ソメイヨシノの下で宴会することを指す。福島で有名な桜といえば、「三春の滝桜」をはじめとする枝垂れタイプが多い気がするが、もちろん県内にソメイヨシノの名所もないわけではない。先日は、近所のSちゃんが誘ってくれて、市内を流れる荒川河川敷の公園へ、満開のソメイヨシノを愛でに行った。

DSC_1168スタートは7時30分。朝の、である。酒のつまみでなく朝ごはんを食べながらの花見は初めてだったが、これがなかなか良かった。青空の下、遠景には絵のような吾妻連峰が霞み、時折そよぐ風に桜吹雪が舞う。その下で、Sちゃんお手製のおにぎり、サラダ、特大いちご、酒粕ディップを乗せたクラッカーを頬張る。人の作ってくれたご飯はなんにしても美味い。あながち親子でもおかしくないほど歳が離れているSちゃんであるが、たまに会うときはこうして結構ごちそうになっている。

横を流れる荒川は、以前にも書いたが水がきれいで有名な川である。河畔にはこんもり木が茂っていて、その黄緑色の芽吹きがまた春を感じさせてくれる。食べ終わったら腹ごなしに川に沿って咲く桜のトンネルをプラプラ散歩して、少々風が出てきたのを機に10時前には終了。Sちゃんは仕事へ、プータローの私は家へ帰って二度寝… いや掃除と洗濯を。早起きは三文の得を実感する一日であった。

その昔、東京は麹町にある小さな会社に勤めていたとき、社員全員(といっても7、8人)で毎年花見をしたのを思い出す。その日は仕事を1時間ほど早く終わらせて千鳥ヶ淵に向かうのだが、4時過ぎともなればもう人が一杯で、いい場所をとるのに苦労した記憶がある。この時期、昼間は暖かくても陽が落ちると結構冷えてきて、寒いわトイレ行きたいわで、結局そんなに長居はできないものだ。地べたに座っての夜桜鑑賞は、年齢的にももう無理だと思う。これからはブレックファースト花見がよさそうである。

DSC_1152ちなみに、桜の名所は県内各所にあるが、私が仕事でご縁をいただいた浪江町にも請戸川リバーラインの桜というのがある。話には聞いていたが、先日やっと生で見ることができた(上の写真)。夜桜の上に花火が打ち上げられる桜まつりは、原発事故による避難で6年間中断していたが、この3月末に一部で避難指示が解除されたのを受け、今年は町に帰った住民の有志が花火を復活させたそうだ。

もちろん、避難指示が続いている間も桜は変わらず咲いていたわけで、日中の立ち入りが可能になった4年前からは昼間の花見ならできないこともなかったろう。でも、解除によって町内での宿泊に制限がなくなり、夜桜を楽しめるようになって初めて、復興の一歩を感じた人も多かったのではなかろうか。もちろん、早朝スタートのブレックファースト花見もOKになったということである!


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やっぱりゆうちょがよさそうだという話

福島市から、去年購入したマンションの固定資産税の納税通知が来た。30代半ばで最初に東京でマンションを買って以来お馴染みの固定資産税だけれども、東京都以外の自治体に納めるのは初めてのことだ。いちいちコンビニに払いにいくのは面倒なので、東京でやっていたのと同じように口座振替にしようと思ったら、対応できる銀行がたいへん限られていた。考えてみれば当然だが(ん?ほんとに当然なのか?)福島市内に支店のある金融機関でないとダメなのだ。

DSC_1135東京人であれば、いわゆる三大メガバンクのどれかに口座を持ってる確率はかなり高いのではなかろうか。メガバンクというからには、日本全国通津浦々に支店があってもよさそうな気がするが、その実、全都道府県の県庁所在地に支店を構えているのは「みずほ」だけなんだそうである。当然、福島市に支店があるのもみずほだけ。私はたまたまみずほに口座があったので、あぁよかったとその福島支店へ振替手続きに行ったら、明らかにレアなリクエストらしく、行員の対応が多少たどたどしくはあったが無事完了した。

東京から地方移住する際は、その土地の地銀もしくは郵便局に口座を作るべし、とはよく言われるが、これだけコンビニATMが発達した昨今、預金の引出しだけなら都市銀のままでも大して不便を感じることはないと思う。しかし、不動産を買うなどとなれば、ローンを組んだり決済したりできる金融機関がその場所になければ困ったことになる。実際、私が福島のマンションを買ったときも、本当は別のメガバンク口座から払い出したかったのだが、福島には支店がないため、みずほの口座へ資金を移動してその福島支店で決済したのだった。

私の場合はこうして「みずほでよかった」という話なのだが、それも県庁所在地の福島市だからであって、もしも郡山や会津若松なんかで物件を購入しようとしていたら、地場の銀行に口座を開設せざるを得なかっただろう。

そして、家は買わないにしても、最寄りのコンビニが10キロ先みたいなイナカに住むなら、それはもう郵便局の出番である。昔、日本でシティバンクが全盛のころ、支店の少なさを補うため郵便局と提携してゆうちょのATMが使えるようにしたのには、流石と思ったものだ。全国どんな小さな町村にも必ずある郵便局。高齢者の中にはキャッシュカードを使わず、必ず通帳と印鑑を持って定期的に窓口へ行く人も多いから(両親を見ているとわかる)、一種の「見守り」的な役割を果たしている局もあるのかもしれない。

私も最近、福島にご縁をもらったのだから地銀に口座を作ろうかと思ったが、いや待て、一生福島にいるとは限らない、と考え直し、結局ゆうちょに開設した。そう、郵便局は自称ノマドの味方でもあるのだ(ただし国内に限る)。

(写真は近所の火の見櫓。よく見るとなかなか可愛い。この辺では住民による消防団も一応まだ機能している)

プータローとはなにか

なんだかんだで3年間もお世話になった福島県浪江町役場に、先月末、こんどこそホントにさよならを告げた。最初は1年のつもりだったのが、延長、延長また延長。その間少しずつ身分が変わったり部署が変わったりしたため、そのたびに送別の花束やプレゼントをいただき、もはや餞別泥棒と呼ばれても返す言葉がないところまで来ていた。が、これでホントに最後だ。

壽とお花.JPG3月30日、町の一部で6年ぶりに避難指示が解除されて、4月1日から役場機能の大半が二本松の仮事務所から元の本庁舎へ戻った。職員もみな、二本松市やら福島市やらへ避難していたのが、役場と一緒に町に帰っている。とはいっても、町を出てすでに6年。避難先に家を買ったり建てたりした人も多いし、一方の浪江町内にはまだ学校もなく、店もほとんどないから、家族連れで帰るという選択をした職員は少ない。ほとんどが当面は単身赴任だ(奥さんが一人で帰っているというパターンもある)。

震災後に採用になった職員の中には、もともと浪江の出身でない人もいる。彼らにとってはこのたびの引越しは「帰還」ではなく、浪江への「移住」ということになる。私もその一人だったのだが、いつかこの日が来たとき一緒に「移住」はしないと決めていたので、このタイミングでホントのさよならになったわけだ。

ということで、今月から晴れて100%フリーランス(プータローともいう)の生活が始まっている。

と書いてみて、待てよ、そもプータローの定義とは何ぞや?という疑問が湧いた。ググってみると、おおむね「働こうと思えば働けるのに無職でいる者」の総称のようである。じゃ、無職者って何か?会社にお勤めしてないということか?そしたら自営業はみんなプータローだ。労働の対価として現金収入を得てない人のことか?じゃ専業主婦はみんなプータローだ。

調べるとNHKのサイトに「なるほど」という記事が載っていた。それによると、プータロー(風太郎)とは元来、定職に就いていない日雇い労働者のことを指す言葉だったそうだ。このオリジナルの定義に従えば、やはりフリーランスとプータローはニアリーイコールとして問題なかろう。私の場合、僅かながら不動産収入という「定収」があるが、これは基本的に不労所得であるので定義は外れまい。

さて、毎日決まった時間に起きて決まったところへ行かなくてもいいとなると、人間どれだけ怠惰になれるものか?まだ始まったばかりだが、自らの性分が露わになってくる過程を面白がっているところである。(つづく)


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東北新幹線よ、ありがとう

サイクリングに最適の真っ平らな福島市街地。その中にぽっこり浮かぶ島みたいな信夫山(しのぶやま)は、市民のオアシス的な存在だ。その信夫山を背に鎮座している県立図書館には、ほぼ毎週末、本を借りに行く。

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先週の日曜日は暖かかったので、運動がてら遠回りして歩いていったら、いつもと違う道から図書館の裏手に出た。すると、信夫山の斜面に向かって階段が伸びているのに気がついた。

どこに行くんだろ?ちょっとした遊歩道にでもなってるのかしら?

時間はたっぷりあるので登ってみる。

百段ほど登っただろうか。小さな見晴らし台みたいなところに出て、突き当りにいきなり、「慰霊」の文字が刻まれた碑が目に入った。ぜんぜん予期してなかったので、ちょっと面食らった。見れば日本国有鉄道と書いてある。そう、それは東北新幹線の建設中に命を落とした人々の霊を慰めるためのものだった。

帰京のたびにお世話になる東北新幹線。大宮~盛岡間の開通は国鉄民営化の5年前、1982年だったそうだ。東海道新幹線と比べても、たしかにトンネルが多い。山の中をあんなに速く走るために、まっすぐな線路を作るために、あんなにたくさんトンネルを掘ったんだ。そのおかげで、東京~仙台など余裕で日帰りできる距離に縮まった。

新幹線ができるってやっぱりすごいことなんだ。この新幹線がなかったら、東日本大震災後の復旧・復興などもっと遅れていたかもしれない。いや、確実に遅れていただろう。個人的にも一昨年、母が大病して毎週末帰京していたとき、在来線で片道4時間なんてかかっていたら私の身体がもたなかったかと思う。そもそも福島移住も考えなかったかもしれない。

その新幹線を通すために、転落や落盤で(だけに限らないだろうが)こんなにたくさんの人が犠牲になってたんだ。

慰霊碑の背後には百余名の殉職者の名前が刻まれた、別の碑が建っている。

DSC_1137振り返ると、新幹線の線路が見える。ここはちょうど信夫山を貫くトンネル入口の真上なのだ。慰霊碑の裏側ではなく、同じ方を向いて名前が刻まれているのは、そういうことか。

毎日、このトンネルに滑り込んでいく新幹線を見て、皆さんさぞや誇らしかろう。

いつも当たり前のように乗っているけれど、ありがとうございます。皆さんのおかげです。

(追記:東海道新幹線建設中の殉職者は210名だったそうです)


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