50歳からの「正しさ」探し(1)

「たたみかた」という面白い名前の新しい雑誌が出た。神奈川県の小さな出版社が作っている。創刊号は福島特集。しかも自分の知っている人が載っているというので、最寄りの本屋に行ったら、なかった。出版元に問い合わせると、福島県ではいわき市内の1か所にしか置いてないらしいという。いわきはマイタウン福島市から高速を使っても2時間近くかかる。DSC_1442

Amazonでポチっとやれば済む話だが、たかが本1冊、電気からガソリンから多くの資源を使い、宅急便のお兄さんを過労に追い込んでまで届けてもらう必要はない、と自分に言い聞かせ、いわきに行く用事ができるのを待った。

幸い、その用事が比較的すぐできて、めでたく入手。

見れば、30代のための社会文芸誌、とある。編集長は1986年生まれの女性だ。中を開くと、30代のためだけあって字が小さい。余白がたくさんあっておしゃれなレイアウトなのだが、字が小さい。私がその年齢のころ、印刷物の制作会社で営業をしていて、クライアントから「字を大きくしろ」と何度いわれたことか。そのたび、デザイナーとともに「これ以上大きくしたらダサいじゃん」(ダサいは当時の言葉で「あか抜けない」という意味です)と悩んだものだが、いまとなってはクライアントさんごめんなさいである。

それはともかく。

「たたみかた」創刊の動機は、「正しさと正しさがぶつかりあう世界を超えていきたい」ということだそうである。巻頭言に曰く、

「自分の『正しさ』がどこからやってきたのかも知らないで、
他者の『正しさ』を理解しようとすることができるだろうか?」

さすがに社会文芸誌だな。直球だな。

で、私も自分の「正しさ」の素ってなんだろうと、いまさらながらちょっと考えてみたわけである。

DSC_1212アメリカ資本の組織には15年以上勤めた。たとえそうでなくても、「もはや戦後ではない」宣言の後の東京に生まれ育った私の世代は、知らないうちに「アメリカ型の価値観」が刷り込まれている気がする。その根本は、つまるところ、「自由」だと思う。

たしかに私にとって「自由であること」は命の次に大事なことみたいだ。

その後をつらつら考えているうちに、自分の価値判断の基準になっているらしいことがあと二つ、見つかった。「効率」と「適者生存」。

・自由であることが正しい。
・効率がよい、あるいは生産性が高いことが正しい。
・適者生存(不適者は自然淘汰されること)が正しい。

うむ。

近所の酒屋さんおススメの純米吟醸を飲みながら、ひとつずつ吟味してみますかね。(たぶん、つづく)


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39度だったらしいですが

たしか2週間くらい前まで、朝晩の最低気温は一桁だったのに、一昨日は駅前の温度計が摂氏39度を指した福島市からお送りします。

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盆地だから暑いよ、と言われてはいたが、たしかに福島市は県内他所と比べても暑い(いちばん北の方にあるのにね)。といっても東京都心の夏を8年間、エアコンなしで暮らした経験のある私に言わせれば、こちらの皆さんがいう「熱波」などカワイイものである。が、まだ5月のうちからこれでは、さすがに身体の順応が追い付かない。

そういえば、去年の今頃も、「ちょうどいい季節はどこへ」とかいうタイトルの記事を書いていたような気がする。1年経つのは早いものだ。このセリフを何回言ってみたところで、時の過ぎるのが遅くなるわけではないが、やっぱり言ってしまうんだな。

昨日だったか、市から健診の案内が届いたが、そこに印字された自分の年齢をみて、あらためて愕然とした。

「年度内年齢 53歳」

ブログのサブタイトルに「50歳からの」とつけているくらいだから、正面から五十路を受け入れているはずではないのか?と自分で自分に突っ込みを入れたくなるほどの嫌悪感。

フリーで仕事をしている分には、あまり年齢を聞かれることはない。去年あたりから、ソーシャルメディア上も誕生日は公開するのをやめ(お祝いのやりとりが面倒なので)、ついでに「私に誕生日はない」ことにしてしまった。年齢なんてただの数字。動物は誕生日なんて数えない。

などと言っていても、こうやって文字にして目の前に見せられると、気持ち良くないものなんだなぁ。

東京から福島に来た当時は、まだギリギリ40代だった。来て最初の誕生日、記念すべき大台に乗った夜は、たしか近所で盆踊りをしていたと思う。2年目は…忘れマシタ。

この3年間の車生活で、すっかり歩かなくなった。「加齢」に加えてこの運動量の減少はマジでやばい。スポーツクラブとかに入会するゼイタクが許されないので、もっぱら自分でがんばるしかないと、せめてマンションではエレベータを使わず、4階まで階段を上り下りしているが、そんなものでは到底追いつかない。少し暖かくなったら(こんどこそ)荒川ジョギングコースにデビューしようと思っていたのに、こんなに暑くなってしまっては…^^;

(食事はヘルシーでしょ、という写真)


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あぶくま山地周遊の日は

終わってしまった。ゴールデンウィーク。

といってもフリーランス(a.k.a.プータロー)の身。毎日が日曜日とは言わないが、拘束時間としての労働時間は激減しているので、大型連休と言われてもまったく有難味はない。前半は果樹園の手伝いなど。後半は東京に帰って実家孝行(=掃除洗濯買い物)で過ごした今年の黄金週間であった。

それにしても日本という国は、ハッピーマンデーだのプレミアムフライデーだの、涙ぐましい努力で国民に休暇を奨励する一方、たかが9連休くらいで「大型」と呼んでしまうところ、つくづく休暇大国への道は遠いと感じる。

こともあろうに、そのゴールデンウィーク初日の29日に出火した浪江町の山火事。連休中ずっと燃え続けて、やっと昨日鎮火したそうだ。わが元同僚の役場職員の皆さん、せっかくの連休もフル出勤した人も多いだろう。3月末に町の一部で避難指示が解除になって役場が避難先から本庁舎に戻り、4月から単身赴任している職員も多いから、家族との再会を心待ちにしていたゴールデンウィークだったに違いないと思うと、本当に気の毒だった。

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さて今日は、その元同僚の皆さんに「お野菜お届け便」をする日だった。(上の写真はあくまでも「とれたて野菜」のイメージ)

浪江町内にはまだ生鮮食品を扱う店がない(コンビニには少し置いてあるけれど)。最寄りの南相馬のスーパーも片道30分はかかる。仕事が遅くなれば閉店時間に間に合わないし、間に合ったとしても買い物して帰ってご飯を作って、では大変だ。週末の買い出しにも限度があろう。元から3食コンビニ飯という独身男子(というのは偏見ですが)はともかく、自炊したい人、ましてや家族の分のご飯まで作らなければならない人はさぞや困るだろうと思って、月に2回くらい、中通りの産直で朝採れ野菜を買い、あらかじめ希望を聞いておいた職員に届けているのだ。といっても商売ではないので、10人分がせいぜいである。早く町内でも野菜を作って直売してくれる作り手さんが出てきてくれるといいのだが。(追記:誤解のないように追記すると、けして請われてやっているのではなく、私がみんなの顔を見たくて勝手にやってることである)

ちなみにその産直、イナカにはたくさんあるが、実はどれも同じではない。福島に来て最初のころは、どの産直に行っても「大量で安くて新鮮な旬の野菜」に興奮したものだが、ほどなく、店によってけっこう差があることに気づいた。

現在のマイタウン福島市でのお気に入りは、「JAふくしま未来農産物直売所 ここら吾妻店」である。なんといっても規模が大きく、量も品ぞろえも豊富だ。ここなら、数種類の野菜を10人分、心置きなく買い出すことができる。

朝9時の開店直後に行くと、生産者の人たちが運んできた野菜を自らどんどん棚に並べていき、そのそばからお客さんが買い物かごに入れていく光景が見られる。これだけ並ぶと競争原理も働くだろう、品質も価格も、つまりコスパについては私の知る範囲では一番だと思う。野菜には生産者の名前が書いてあるので、こないだ買ったこの人のトマトおいしいな、と思ったら、次もその人の名前を探して買えるのもよい。

DSC_1152今日は浪江町へ野菜を届けた帰りに川内村へ取材に寄ったので、200キロ越えの阿武隈山地周遊ドライブであった。今夜も「お疲れ、自分!」のビールへと突入するところである。

(写真は今日ランチを食べた川内村のCafe Amazon


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芽が出てふくらんで花が咲いたら何をする?

この時期の福島は美しい。冬の寒さが厳しい地方こそ、春の到来は格別にうれしいものだ。

都心のマンションに住んでいたころ、季節の移り変わりを知る術は気温と日の長さくらいだったが、こちらでは花が咲く、鳥が鳴く、土手の雑草が茂る、産直に菜花が増える、日に日に山肌の白い面積が小さくなっていく--まさに身の回りのすべてを通じて春を感じられる。

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くだもの王国として売り出し中の福島県。中でも我が福島市は果樹栽培が盛んで、6月のサクランボを皮切りに桃、梨、リンゴと、これから次々にシーズンを迎える。フルーツラインと命名された道路の両側には観光果樹園が並び、シーズン中はピッキングと直売を目当てに多くのお客さんが訪れる。

こういう果物は、当たり前だが花が咲くからこそ実がなるわけで、4~5月にフルーツラインを走ると、白やピンクの花々がとてもきれいだ。実は最近までどれが何の木だかわからなかったのだが、いまは花と枝ぶりでちゃんと見分けられる。

というのも先週、知り合いの果樹農家さんで農作業の手伝いをさせてもらったからだ。何をやったかというと、桃の摘花とサクランボの授粉である。なぜこんな作業が必要なのか?

農作物は多かれ少なかれみな同じだろうが、ただ自然のままにしておいたら売りものはできない。咲いた花を的確に間引きしたり、人工的に授粉してやらなければ、人間が買い求めるような立派な果物はできないのである。まったく、何事もやってみないとわからないものだ。こんなに手間と時間がかかっているとは知らなかった。

DSC_1150摘花は、脚立に上ってただひたすら、適切な間隔でピンクの花を摘んでいく。2人で1時間作業して、中くらいの桃の木がやっと1本終わるかどうか。脚立の上の作業は結構バランス感覚が要求され、体幹も鍛えられるらしい。前にこのアルバイトをしたことがあるという友人Sさん(40代女性)は、「ワンシーズンやったら腹筋が割れた」と言っていたが、あながちウソではないと思う。

サクランボの授粉というのは、自家受粉しない(=同じ品種同士では実を付けない)佐藤錦という品種に必要な作業だそうで、雇われたミツバチ君たちとともに人間が別種のサクランボ花粉を雌蕊にくっつけていく。こちらは肩掛け型の小さな機械を使う。長いホースの先についている鳥の羽で花の表面を撫でてやると、先から出てきた花粉がまぶさるようになっている。

どちらの作業も、ひたすら目の前の花と木に集中して行う。たまに顔をあげれば真っ青な空が(雨の日はできないから)。どこからかホトトギスやキジの鳴く声が聞こえ、遠くには雪解けの進む山々… 思考が止まって無心になれる。

その1週間ほど前、友人の紹介でポラリティセラピーという施術をしてもらったのだが、そのセラピストさん曰く、ふだん物書きの仕事をしている私は、常にコトバで、すなわち頭で考えていて、首から上がカチカチに緊張しているのだそうだ。「たまには散歩でもして無心になって」というのだが、散歩くらいでは残念ながら頭ぐるぐるは止まらない。

やっぱり、瞑想には料理と農作業がぴったりのようである。

(写真は白いサクランボの花とピンクの桃の花)


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