50歳からの「正しさ」探し(2)柴犬の話

フリーランスになって、ほぼ好きな時間に散歩できるようになった。

家から数分の荒川土手がいつものコース。このところ暑くなってきたので、昼間でなく朝のうちに歩くようにしている。といっても私の「朝」はせいぜい8時台で、今の時期もう十分陽は高いのだが、それでもその時間だと犬を連れている人と時々すれ違う。

DSC_1438

昨日の朝は2人(2匹)と出会った。どちらも柴犬だった。午後も時間があったので、図書館まで歩いて行った。30分後に出てきたら、目の前のベンチに座っているおじさんの横に、やっぱり巻尾の柴犬がいた。

今日も、車の定期点検を待つ間に散歩していたら、立派なバラに誘われてつい覗いたお宅の庭に、「太郎邸」と書かれたこれまた立派な犬小屋があり、その中のワンコもやっぱり柴犬であった。

その4例をもって、福島の飼い犬は柴犬が多い、と断言するつもりはないが、そういえば、と思い返すと、この辺で出会う犬にカタカナの洋犬は少ない気がする。ミニチュアダックスとかトイプードルとかゴールデンレトリバーとかビーグルとか。そういう類にはこちらに来て3年、道ですれ違った記憶はない。(もちろんいるところにはいるんでしょうけど)

私の実家には常に犬がいた。生まれたときにいたのはボンという黒い雑種。よく覚えていないが、彼はたぶん私が小学校に上がってすぐくらいに死んでしまったと思う。

その後に来たのが柴犬だった。親がペットショップで買ってきた。今ならそんなことはせず、保健所なり保護犬の里親探し会などに行くと思うが、昭和の川崎の一般家庭にそこまでの「意識の高さ」はなかった。三河柴犬という種類で、秀吉の幼名にあやかり「竹千代」と命名された。でも犬を呼ぶのに4音節は長すぎ、ほどなく「タケ」になった。

タケは日本犬らしく独立心が旺盛で、門扉を開けるといつでも逃げ出そうとした。実際逃げ出して父が保健所へ探しにいったことも、一度や二度ではなかったと記憶する。知らない人にはよく吠えて、番犬としては立派だった。飼い主にもあまり媚びへつらった態度はとらない犬だった。たしか16年くらい生きて、最後はヨボヨボになって立てなくなった。当時は「犬の介護」という概念は一般的でなかったので、室外犬だったタケはただ軒下に横たわり、蚊に刺されまくりながら、苦しいよ、喉が渇いたよと鳴いた。昼ならスポイトで水を口に運んでやったが、夜はどうしようもなかった。ある日、仕事から帰ったら死んでいた。まだ体は温かかった。

この話をすると、いまでも涙が出る。犬好きの人なら一緒に泣いてくれるだろう。

でも犬や猫の死は悲しくて、ゴキブリやハエの死は一向に悲しくないのはなぜか。理由もなく猫を殺したら動物愛護法違反になるのに、ゴキブリを殺してもなんの罪に問われないのはなぜか。食べ物になる動物は殺してもいいのに、人間を殺してはいけないのはなぜか。

新しい問いではない。でも、小さな子どもにそう聞かれたら、果たして自分はなんと答えるのだろう。

そんなことも、自分の「正しさ」の由来を考えるきっかけなのかなと。


移住生活 ブログランキングへ

広告

50歳からの「正しさ」探し(2)柴犬の話” への1件のフィードバック

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中