ののはな

ののはな あいらしい
ののはな つつましい
ののはな たくましい
ののはな なもしらぬ
ののはな きにしない
ののはな ただ咲く
ののはな ただ営む

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今朝の福島市より

数日前の福島市はたしか全国で2番目に暑い33度なんちゃらだったのに、昨夕は冷えた。今朝の吾妻連峰はうっすら新しい雪を被っている。

こう気温差が激しいと、衣替えのタイミングも悩ましい。収納に余裕があれば、薄手のセーターくらいは仕舞いこまずに通年プレーヤーにしておくのが正解なのだろう。薄着のままでいたら何年ぶりかで風邪をひいてしまったらしく、薬箱の奥から葛根湯をひっぱり出して飲み、とりあえず大人しくしている。

寒暖の差という意味で福島県の中通り、特に山に近い北部は気象条件が厳しい。対して浜通りは相対的に気候がマイルドだ。中でも南部のいわきは、北部の浪江や相馬と比べても気温差が小さい。夏は涼しく冬は暖かいだけでなく、昼夜の気温差も少ないのだ。毎日の天気予報で県内各地の気温を見ていると、いわきが東北のハワイと呼ばれる(自称?)意味がわかるような気がする。

原発事故で中通りへ避難してきた人たちが、段々と浜へ、特にいわき方面へ戻っていくのは、気候面での暮らしやすさも関係していると思う。

私個人としては、しかし、衣替えに困ろうと風邪を引こうと、この高く美しい山並みが見えないところでの暮らしは、なんだかもう考えられないのであーる!

電車という学び場

ゴールデンウィークは例年どおり川崎の実家で過ごした。首都圏ではどうしても電車の移動が主になる。福島でもたまにローカルの東北本線に乗るが、なんだか同じ乗り物とは思えないくらい車内の趣きが違うので、久しぶりに山手線や京浜東北線に乗ると発見がある。

まず、席に座って前に人が立つという事態が新鮮だ。そこで、相手のお腹から下のあたりを眺めることになるわけだが、顔を見なくても年齢ってわかるものなのだと改めて気づく。どこでわかるかといえば、下腹と足元だ(女性の場合)。着ているものや靴のデザインは関係ない。全体には痩せ型であっても、なぜかそこだけポッコリと突き出た下腹。そして足の甲に浮き出た血管。自分はやはり、なるべく下腹が目立たない服を着て、足の甲が見えない靴を履こうと思った。

もうひとつ、東京の電車内の広告量はローカル東北本線の比ではない。最近はみなスマホに夢中だから、広告も減ったかと思うとそうでもないらしい。ドア横にはよく書籍広告が出ているが、今回たまたま目に入った「ベストセラー」の宣伝には目を疑ってしまった。「大人の語彙力ノート」というタイトルなのだが、内容の一部の紹介として、その「大人の語彙」へ言い換え例らしいのが以下のように並べてあった。

大丈夫です →  問題ございません
手伝ってください → お力をお貸しください
ぶっちゃけて言うと → 有り体に言うと
忘れていました → 失念しました
つまらないものですが → ご笑納ください

・・・・・・??? これはわざわざ本を買って学ぶようなことなのか?ふつうに読書をし、ふつうに仕事をしていれば、ふつうに身に着くレベルの語彙なのではないのか?もちろん、他にもっと高度な?「大人の語彙」が収録されているのかもしれないが、それにしてもこんなサンプルがアイキャッチだなんて。いくら最近の若者のボキャ貧ぶりは酷いといってもねぇ… ? 思わず周りの乗客に同意を求めそうになったが、残念ながら誰も気に留めている様子はない。このブログで私の驚愕をシェアすべく、広告をガン見しながら内容をメモしていた私は、逆に周りにどう見えたろうか(笑)

むろん、私のボキャブラリもたかが知れているのを棚に上げて言えば、読み物として世に出ているはずの文章であっても質はまったくピンキリだ。特にネット上では、個人ブログとは一線を画すはずのウェブメディアにも思わず首をかしげるようなレベルの文章を見かける。ビジネスメールも同じだ。

語彙力、文章力は、良い文章をたくさん読む以外に身に着けようがあるだろうか。「ご笑納」など言葉尻ばかり「大人」になっても、中身が伴わなければかえって失笑をかうだろうと思うが、その可笑しささえわからない人ばかりになったら……

などと、山手線の車内でしがないフリーライターのおばさんは一人案ずるのであった。

(写真:まだまだビル建設が続き外国人だらけの渋谷の街と、そこで久々に食べたナタラジの野菜ビリヤニ)