ゆめうつつ


わたしが「わたし」である間
この世は現という夢

わたしが「わたし」でなくなる日
夢も現もなくなる日
言葉から解放される日
を夢に見る、夢中夢

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冷や汁+甘酒=いいね

昨日の福島市は久しぶりに朝から晴れていたが、入道雲がモクモクと立ち上がった典型的な夏空で、案の定夕方には雷が鳴って雨が降り出した。「天高く」という秋冬の晴天に対して、夏の晴天はたしかに空が低く感じる。本当は見上げる空=宇宙に「高さ」はなく、あるのは雲の高低くらいなのだけど、そういう表現はまことにジコチューな人間らしい。甘酒冷や汁の朝ご飯福島県はいちおう東北地方なので東京より涼しいと思われているが、何度もいうとおり福島県は広大である。涼しいのは標高の高い山地と海風が吹くいわき地方だけだ。内陸の盆地である福島市街の夏の暑さは県民の間では有名で、先週はずっと36度超えだった。福島駅前の温度計の40.8度という表示を見てさすがに驚いたが、あれは暑さでセンサーが壊れたのか。

こう暑いとさすがの私も多少は食欲が落ちて、さっぱりしたものが中心になる。最近のお気に入りは冷や汁だ。どこかでそれに甘酒を足すというレシピを見て、やってみたらハマっている。そういえば、福島に来てから甘酒を買う頻度がかなり増えたと思う。東京のスーパーってこんなに甘酒たくさん売ってたかしら?こちらでは、砂糖入りの「まがい物」を除いても、たいてい数種類の甘酒が売り場に並んでいる。先月は手作りのも頂いた。

「飲む点滴」というキャッチーなコピーはだれが考えたんだろう。米麹だけの自然な甘さはまさに「滋養」という言葉がふさわしい。豆乳で割るのは以前からよくやっていたが、味噌とも合うというのは発見だった(考えたら同じ原料だから当たり前か)。他にも探せば甘酒レシピはいくらでもあると思うが、どうも料理のレパートリー拡大を楽しむような性格ではないため、しばらくは甘酒冷や汁のヘビロテが続くと思われる。

あーこんなどうでもいいブログを書いてる暇があったら原稿かけよー自分(ー ー;)

Perspective and imagination

本当に。雨がたくさん降っただけで、本当にこんなにたくさん人が亡くなってしまうものなのか。いま私にできることは多少の寄付と、天に向かって「もう勘弁してください」と祈ることくらいだ。

「自然のおそろしさ」などというが、恐ろしいのは人間から見た場合であって、巨大な台風も地震も津波も噴火も、「自然」の側からいえば淡々とした物理現象に過ぎない。そういう現象自体は人間の力でどうしようもないが、それによって人間の身に降りかかる災いの程度は、人間の側の準備や工夫によって減殺できる可能性はある。それをしなかったために被害が出た(増えた)と判断されれば、その部分は「人災」と呼ばれる。

7年前の東日本大震災では、津波は天災だから仕方ないが、原発事故は人災だったということになっている。でも、あれほどの高さの津波が来ることを想定してしかるべき対策をとっていなかった、という意味で東電が「有罪」なのであれば、あれほどの高さの津波が来ることを想定して、しかるべき高さの防波堤を建設したりまじめな避難訓練を実施したりしていなかった、という宮城・岩手の沿岸自治体、あるいは国も、同じように「有罪」ではないか――。そういう視点があることを最近になって知り、私は妙に納得した。別に東電を無罪放免すべきとは言っていないが、物事を見るにはパースペクティブが必要だということだ。

実際、津波被害が甚大だった宮城県の一自治体で震災伝承活動をしている人は、「ちゃんと準備をして正しい判断をしていれば、あれだけの人数は死なずに済んだはず」という現実に向き合う必要を訴えていた。

天災がおこると、どこから先が「人災」なのかという議論は時間をおいて大抵出てくる。その際、犯人捜しも必要だが、自分自身にも「やればできたのにやらなかったこと」がないか、一人ひとりが省みることでしか、本当の「次への備え」は生まれないと思う。

・・・などと解説者気取りのことを偉そうに言えるのも自分が当事者ではないからだが、せめて想像をたくましくして、自分ならどうする、という思考訓練から逃げないでおきたい。

各地の災害で日常生活を失った人たちが、一日も早く心安らかな暮らしを取り戻せますように。