リアルでいこう

実家で年越しのため、福島駅から新幹線に乗って東京へ向かう。30分も乗らない間に、窓の外は一面、白くなったり茶色くなったりする。今週、福島市内は雪が10センチ以上積もったが、20キロ南の二本松、そのまた20キロ南の郡山はほとんど降っていない。ところがさらに南下して白河、栃木の那須のあたりにくると、再び畑は白くカチカチに凍っている。その辺りから西へ向かい、南会津に入れば、この時期はもう1メートルを超す積雪だ。

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会津の郷土料理こづゆ。正月などハレの席で食べるそうな。

だから、東京の友人に「福島は雪降ってる?」と聞かれても、まず福島県のどこ?と聞き返さねばならない。移住して4年になる私も、いまだに福島の気候はバラエティに富んでいるなあと感心するが、むしろあれだけ広い範囲で似たような天気になる関東平野のほうが、山ぐに日本の中ではレアケースなのであろう。ここに都を築いた家康はやはり先見の明があったのか。福島暮らしを経験すると、お江戸の冬は晴天が多く、温暖で過ごしやすいと感じる。

4月にサラリーマンをやめたら、職場がらみの宴席というものがほぼ皆無となり、したがってこの年末はクリスマスとか忘年会と名の付く外食の機会は2回しかなかった。あとは今月半ばに我が家でこぢんまりと女子会をやったくらいだ。もともと大人数の宴会は得意ではないが、フリーになった今はこれまで以上に努めて人付き合いを拡大しないと、そのうち引きこもりになりかねない。

そのぶん、年末年始の帰京中は、実家孝行の合間に50年来の友人たちとできる限り会う予定にしている。福島でもこの4年間、おかげさまでいろんな人と知り合い、友人もできたが、やはり数からいえば東京のほうがまだ圧倒的に多い。facebook様のおかげで普段からさほど「離れている」という感覚はないが、リアルで会うと決まって「この前会ったのいつだっけ?えーあれってもう2年前?」みたいな話になる。SNSがない時代に一人で地方に移住してたら、かなり孤立感があったのではなかろうか。

仕事の打合わせだって、いまどきskypeとかzoomとかいう便利ツールを使えば大抵の距離は克服できる。そういう意味では地方移住・二地域居住のハードルは確実に下がっていると思う。そのうち忘年会や新年会だってオンライン参加が主流になるかもしれない。

いやいや、お酒はやっぱり生身の人間といっしょに飲むほうがおいしいに決まっている。この正月は、昨年の大病からリハビリを重ねて再び口からの飲食ができるようになった84歳の父と、まずは福島の酒で乾杯だ。新幹線とネットをうまく使い分けながら、来年は引きこもりにならないフリーランスを目指すぞ!それと、もうちょっと本業で稼ぐぞ!(笑)

今年も本ブログにお付き合いくださりありがとうございました。来年も気が向いたら読んでね。

 

 

 

 

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リピートあそばせ、ふくしま(その2)

先週末、東京から従妹が遊びに来てくれた。東京の友人たちは代わるがわる訪ねてきてくれるが、考えてみたら母以外の親族の来福は初めてだ。

父は5人兄弟、母は3人兄弟だから、いとこはたくさんいる。子供の頃は年に数回親族で集まっていたと思うが、この20年以上、たまに顔を合わせるのは葬式のときだけという状態が続いていた。それが近年、SNSのおかげで数人と再びゆるくつながることができ、今回の訪問が実現したわけだ。まったくfacebookさまさまである。

リアルで会うのは数年ぶりのAちゃん(といっても彼女も40代)は、貴重な週末を目いっぱい楽しむべく、金曜の夜に仕事を終えてから新幹線に乗って福島入りしてくれた。こういうときに、新幹線停車駅の徒歩圏内にマンションを買っておいてほんとによかったと思う。

さて、どこに連れて行こうか。

山が好きで2年ほど長野に暮らしたこともあるAちゃんだが、なんと福島は初めてだというではないか。山歩きがしたい、もちろん温泉も入りたい。桃も食べたい。美大を出たデザイナーだけに美術にも興味あり。だけど、お城見学や街歩きはしなくて可。ということで、1日目は福島~浄土平~鎌沼散策~フルーツライン~飯坂温泉、2日目は県立美術館~土湯峠~猪苗代湖~郡山と相成った。合間には私が知っている限りの「ちょっとすてきなカフェ」やお土産ショッピングタイムも組み込み、天気にもそこそこ恵まれたので、それなりに楽しんでくれたと思う。

DSCN1788 (2)りんどうが咲き始めた浄土平はいつもながら美しかったし、久々の太陽がまぶしい猪苗代湖では、家族連れやカップルに交じって念願の(!)足漕ぎスワンボートにも挑戦。私自身も旅行者気分で楽しい週末だった。

DSC_1954ちなみに、スワンボートの視界は思いのほか狭く、ハンドル操作がなにげに難しいです。w↓

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というわけで、今回もほぼ定番の観光コースだったのだが、こうして東京からのお客さんを案内する場合、土日の2日間、新幹線駅の発着という条件で旅程を考えると、どうしても直面する現実がある。

浜通りに連れていく時間がないのだ。

もともと原発被災地支援に入った身としては、避難指示の解除が進む浜通りの復興に寄与すべく、そこへ人を連れていきたい気持ちがある。が同時に、来てくれた人には福島が誇る雄大な自然と極上温泉をぜひ楽しんでもらいたい。歴史好きならやっぱりお城や城下町だろう。もちろん、あぶくま山地から海側にだって山も温泉も史跡もあるにはあるのだが、中通り~会津地方の有名どころと比べてどうしても地味なのだ。しかも、新幹線の停車駅からは片道1~2時間かかるため、帰りにちょっと寄る、ということもできない。

浜に連れていくには、リピートしてもらうか、3日以上滞在してもらうしかないのである。

だから、AちゃんもMさんもRちゃんもHさんもIさんもJちゃんもCちゃんもMちゃんもYさんも、みんな、また来てね!

(約1年前に書いた「リピートあそばせ、ふくしま」の記事はこちら。同じようなことを書いてます(笑))

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只見にて、お腹が重たくなった話

只見に行ってきた。

新潟県との境にある福島県只見町は、豪雪地帯として有名である。2年前の冬、雪まつりを見にバスツアーで来たことがあるが、3メートルの積雪の中、人々は文字通り「雪に埋もれて」生活していた。雪に閉ざされるとは、こういうことを言うのか――。それはある意味圧巻ではあったが、個人的に「冬のリピートはないな」と確信したのであった。

DSC_1857だが、町の9割をブナの森林が占めるという只見、夏はさぞ美しいことだろう。ぜひ緑の時期に再訪してみたいと思いつつ、2年以上たってしまった。なにしろ、同じ県内でありながら福島市からはおいそれと日帰りできるような距離ではない。トレッキングを楽しむならできれば2泊したいところなので、実現まで少々時間がかかってしまったわけだ。

今回、2年越しの夢のブナ林&沢歩きも、実は直前の大雨であわや入山禁止というところだったのだが、普段の行いが余程よろしかったと見えて、前日までには通行規制も解除。当日も曇りときどき雨の予報が見事に外れてピーカンに晴れてくれた。

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予め観光協会のサイトで歳の近い女性のガイドさんをお願いしてあったのだが、彼女も関東からの移住組で、以前は編集の仕事をしていたというので、こちらはすっかり親近感がわいてしまい、おかげで安全かつ楽しく只見の自然を満喫できた。感謝。

お宿はもちろん温泉である。もちろん、と書いたが、実は只見には温泉が2つしかないらしい。会津の山の方は至るところでお湯が湧き出ているようなイメージがあったが、場所によっては温泉過疎地帯もあるんだね。その只見の温泉も、最初に掘り当てたのが平成になってからだというから、それほど古くない。宿のお湯は無色透明のサラサラ系だったが、隣の日帰り温泉のほうは黄褐色のトロトロ系で、なかなか良かった。

DSC_1844と、ここまでは私の「想定通り」の只見だったのだが、翌日、只見川の上流に田子倉湖と田子倉ダムという景勝地があるというので、なんの気なしに行ってみたら、なんだかとってもお腹のあたりが重くなってしまった。

森に囲まれた湖は、たしかに景勝地ではある。静かな水面には遊覧船も浮かんでいる。巨大なダムを真横から見るのも、これまた圧巻だ。このダムで水がせき止められて湖ができていることがよくわかる。

DSC_1904が、このダム湖の底には50戸290人の集落が沈んだのだという。

もちろん沈む前に住人はみな他へ引っ越したわけで、そのために死者が出たという話ではないのだが、それでもそのことを知ってしまうと、水の中から声にならない声が聞こえるような気がしてならなかった。

昭和35年になぜこのダムができたかといえば、もちろん首都圏向けの電力供給のためである。ここではいまでもJ-POWER(電源開発)が電気を作っている。田子倉だけでなく、水が豊富な福島の山間地方にはいくつもダムがつくられ、すなわち水力発電所がつくられ、戦後の首都圏への電力供給地となってきた。その歴史はなんとなく知っていたが、そのダム湖の底にはみな多かれ少なかれ、強制的に移住させられた人々の集落が沈んでいるのだということには、思いが至らなかった。

ダム建設中は賑わった只見も、できあがった発電所は期待されたほどの雇用も経済効果も生まず、地域の過疎化は進んだという。一時12,000人を超えた只見の人口は、現在4,400人を切っている。

DSC_1909浜通りで原発事故がおきたとき、「福島第一は東京の電気を作っていたんだぞ!」と、なかば非難に近い言葉が福島の人から発せられたこともあった。そのとき、東京人の私は大いに反発を覚えた。たしかにイチエフは東京の電気を作っていたが、事故がおきたこと自体は一般の東京都民のせいではなかろう、と。

でもその「非難」は、おそらくそういう福島の歴史も踏まえて口をついたのであろう。

「福島は東京の犠牲になってきた」。「都会は地方の犠牲の上に成り立っている」。そういうメンタリティを私は好まなかったし、理論として正しいとも思ってこなかった。が、地方に移住していろんなものを見聞きするうちに、またいろんな本を読むうちに、だんだんと「そういう面もあるのかもしれない」と感じるようになってきている。

そしてそれは、誰のせいでもないのだけれど。


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凡庸なる者のつぶやき

福島市内に、あづま総合運動公園というところがある。広大な敷地に野球場やサッカースタジアムをはじめいくつものスポーツ施設が、かなりのゆとりをもって配置されている。緑の芝生の丘が連なる広場やバラ園、木立の中を散策できる遊歩道なんかもあり、ピクニックにはちょうどいい。

都内でも、代々木公園や新宿御苑など、それなりに木が多くて清々しい場所はあるが、福島の何が違うといったら山が間近に見えることだ。しかも週末でも混んでいない。よさげなベンチがいくらでも空席である。

DSC_1445こんなにすてきな場所がうちから車で15分なのだから、もっと頻繁に来ればいいと思うのだが、いつでも行けると思うと存外行かないものだ。

フリーになってからというもの、土日といっても何かしらやるべき仕事がある(有難いことに)。さらに今月からは週に二晩、英語の先生のアルバイトも始めたので、多少はその準備もしないといけない。

でも先週の日曜日は久しぶりに「やるべきことが何もない」日だったので、少々曇りがちではあったが、レジャーシートを引っ張り出し、サンドイッチを作り、コーヒーをポットに入れ、久しぶりにその公園へと向かったのであった。

暑くもなく寒くもなく、心配したほど風も強くなく、イメージ通りの快適ピクニック。この公園からだと吾妻小富士がけっこう近くに見える。よさげな場所にシートを敷き、とりあえず飲み食いしながらぼーっとしていると、一人でゲートボールを練習しているらしいおじいさんが、ボールを打ちながら傍らを通り過ぎる。あちらでは若いカップルがキャッチボールをしているが、女性の方が毎回球を取り逃がすので、途中からゴロになった。

犬連れも歩いている。前回、「この辺では柴犬が多くて洋犬は見かけない」と書いたが、この日見かけた数頭のうち、柴は1頭だけで残りはみんなカタカナ犬であった。シュナウザーとかコーギーとか。やっぱり、ちゃんといるんだねw みんな飼い主と楽しそうに遊んでいる。あぁ平和だ。(でも熊出るらしいから気をつけようね)

DSC_1464サンドイッチを消化したあとは、スマホいじりではなく読書タイム。この日は、図書館で借りた単行本を持ってきた。

いつも行く県立図書館にはふくしま未来研究会という財団からの寄付本コーナーがあって、比較的新刊の本が置いてある。そのセレクションの基準は、おそらく「福島」「移住」「健康」「地域おこし」みたいな感じだと思うが、ドキュメントあり翻訳小説ありレシピ本あり指南書系あり、かなりバラエティに富んでいる。

いつも小説や随筆はほとんど読まないのだけれども、その時はたまたま目についた「漂うままに島に着き」(内澤旬子・著)というエッセイを借りてきていた。著者が東京から小豆島に移住した顛末が、詳細かつ面白おかしく書かれている。内澤さんという人は年の頃は私とほとんど変わらない。しかもシングル仲間。しかも東京からの移住組。しかもヨガのプラクティショナーというので、すっかり親近感がわいた。

単身女性の地方移住は昨今大して珍しくなくても、中年女性となるとがくんと数が減るだろうと思っていたが、内澤さんによるとどうもそうでもないらしい。なんとなく心強い。

その数日前にも、本屋で星野源の「いのちの車窓から」というエッセイ最新刊を買って読んでいた。私はテレビをあまり見ないし、見てももっぱらNHKなので、芸能人やアーティストはNHKに出る人しか知らない。だから私は長らく、星野源という人を「LIFE 人生に捧げるコント」に出てくるコメディアンだと思っていた。でも、実は音楽家でもあり文筆家でもある、ものすごく多彩な著名人なのだということを、さすがの私もどこかで知るに至り、本屋で見かけて初めて衝動買いしたのである。

お二人ともプロなので文章のうまさは当然として、身の回りの出来事や「心の機微」(「いのちの車窓」帯より)を綴ったのがこれだけ興味深いというのは、やはりその人生の濃さというか、経験の幅と深さが表れるからなんだろう。

逆に言えば、エッセイストというのは自分の人生や生活を切り売りするものなのだな、と改めて気づかされた。私とて、こんな「日記」と銘打ったブログを書いてるということは、生活を晒しているのと同じなのだけど、こちらは素人である。基本的には知友人の輪+アルファくらいのリーチしか想定していない。

…いや告白するとね、「いつの日か夢の印税収入」を妄想しないこともないんだけど(笑) でも不特定多数の人の目に触れる前提で固有名詞を使ったエピソードを書くなど、うーむ、私には無理だ。

それ以前に、私の人生はあまりに起伏に乏しい。子どもも産んでないし、せめてバツイチくらいなってみてもよかったがそれも叶わなそうだし。「移住」といっても離島の一軒家で農業始めます、とかではなく、駅前のマンション住まいでサラリーマン(こないだまでは)。客観的に見れば品川から大井町へ引っ越したのと大して変わらないし。個人事業主にはなったが、会社を興そうなどという度胸も才覚もないし。そしてこれは幸いなことだけれど、これまで大病とか事故とか最愛の人の死とか、人生観をガラッと変えるような出来事も何ひとつなかった。こんな私の生活エピソードを、友人ならともかくアカの他人に聞かせても全然面白くないはずだ。ましてや私の「心の機微」など、だれも知ったこっちゃないわね(笑)

いたって凡庸な者のいたって普通の人生。 でも世の中ってそういう普通な人の方が多いじゃん?凡庸だっていいじゃん?

と独りごちて顔を上げると、あづま運動公園の上空は曇って少し肌寒くなってきた。さて、日帰り温泉でも寄って帰るか。

ということで、わが福島移住日記はこの先も淡々と続くのであります。

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お花見で朝食を

東京で花見といえば通常、ソメイヨシノの下で宴会することを指す。福島で有名な桜といえば、「三春の滝桜」をはじめとする枝垂れタイプが多い気がするが、もちろん県内にソメイヨシノの名所もないわけではない。先日は、近所のSちゃんが誘ってくれて、市内を流れる荒川河川敷の公園へ、満開のソメイヨシノを愛でに行った。

DSC_1168スタートは7時30分。朝の、である。酒のつまみでなく朝ごはんを食べながらの花見は初めてだったが、これがなかなか良かった。青空の下、遠景には絵のような吾妻連峰が霞み、時折そよぐ風に桜吹雪が舞う。その下で、Sちゃんお手製のおにぎり、サラダ、特大いちご、酒粕ディップを乗せたクラッカーを頬張る。人の作ってくれたご飯はなんにしても美味い。あながち親子でもおかしくないほど歳が離れているSちゃんであるが、たまに会うときはこうして結構ごちそうになっている。

横を流れる荒川は、以前にも書いたが水がきれいで有名な川である。河畔にはこんもり木が茂っていて、その黄緑色の芽吹きがまた春を感じさせてくれる。食べ終わったら腹ごなしに川に沿って咲く桜のトンネルをプラプラ散歩して、少々風が出てきたのを機に10時前には終了。Sちゃんは仕事へ、プータローの私は家へ帰って二度寝… いや掃除と洗濯を。早起きは三文の得を実感する一日であった。

その昔、東京は麹町にある小さな会社に勤めていたとき、社員全員(といっても7、8人)で毎年花見をしたのを思い出す。その日は仕事を1時間ほど早く終わらせて千鳥ヶ淵に向かうのだが、4時過ぎともなればもう人が一杯で、いい場所をとるのに苦労した記憶がある。この時期、昼間は暖かくても陽が落ちると結構冷えてきて、寒いわトイレ行きたいわで、結局そんなに長居はできないものだ。地べたに座っての夜桜鑑賞は、年齢的にももう無理だと思う。これからはブレックファースト花見がよさそうである。

DSC_1152ちなみに、桜の名所は県内各所にあるが、私が仕事でご縁をいただいた浪江町にも請戸川リバーラインの桜というのがある。話には聞いていたが、先日やっと生で見ることができた(上の写真)。夜桜の上に花火が打ち上げられる桜まつりは、原発事故による避難で6年間中断していたが、この3月末に一部で避難指示が解除されたのを受け、今年は町に帰った住民の有志が花火を復活させたそうだ。

もちろん、避難指示が続いている間も桜は変わらず咲いていたわけで、日中の立ち入りが可能になった4年前からは昼間の花見ならできないこともなかったろう。でも、解除によって町内での宿泊に制限がなくなり、夜桜を楽しめるようになって初めて、復興の一歩を感じた人も多かったのではなかろうか。もちろん、早朝スタートのブレックファースト花見もOKになったということである!


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