国鳥キジはなんと鳴く

近所の散歩コースである荒川土手には、ところどころに大きな木や茂みがある。今の時期、その中からはなんとも擬音化の難しい、いろんな鳥の鳴き声が聞こえてくる。

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名前が分かっているのは、まずカッコウだ。カッコウは日本語では「カッコー」と鳴くことになっている。しかし、私にはどうもそうは聞こえない。あえて書けば「ヒョッホー」だろうか。東京時代の私にとって、カッコウの鳴き声は優雅なマウンテンリゾートの休日とワンセットだったのだが、こちらに来たら意外に人里にもいることが判明し、若干興ざめしたと言えなくもない。

そして「キジ」。桃太郎の家来は「ケーン」と鳴いたらしいが、これまたどうやってもそうは聞こえない。めったに姿を見せないので、最初、人から音だけで「あれがキジだよ」と言われたときは、自分が理解しているキジとは別物なのではないかと思ったくらいだ。カッコウよりも擬音表現が難しく、鶏が首を絞められたような、としか言いようがない(といっても鶏が実際に首を絞められた声を聞いたことがないから、これも違うかもしれない)。

もちろん擬音化に限界はあるが、たとえば猫がニャーで犬がワンなのには、少なくとも日本人なら大抵合意するであろう。コケコッコーも、まあ近いと思う。しかしなぜあれがケーンなのか?理解に苦しむ。

ほかにも茂みや草むらからはいろんな鳴き声がする。鳥の専門家の間には、そのすべてに共通の擬音化表現があるのだろうか。チュンチュン、カーカー、ピーチクパーチク、鳥の言葉はわからないが、こちらは「おはよう」とか「どこいくの」とか人間語でコミュニケーションを試みる。あちらにはどう聞こえてるんだろうねw

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電車という学び場

ゴールデンウィークは例年どおり川崎の実家で過ごした。首都圏ではどうしても電車の移動が主になる。福島でもたまにローカルの東北本線に乗るが、なんだか同じ乗り物とは思えないくらい車内の趣きが違うので、久しぶりに山手線や京浜東北線に乗ると発見がある。

まず、席に座って前に人が立つという事態が新鮮だ。そこで、相手のお腹から下のあたりを眺めることになるわけだが、顔を見なくても年齢ってわかるものなのだと改めて気づく。どこでわかるかといえば、下腹と足元だ(女性の場合)。着ているものや靴のデザインは関係ない。全体には痩せ型であっても、なぜかそこだけポッコリと突き出た下腹。そして足の甲に浮き出た血管。自分はやはり、なるべく下腹が目立たない服を着て、足の甲が見えない靴を履こうと思った。

もうひとつ、東京の電車内の広告量はローカル東北本線の比ではない。最近はみなスマホに夢中だから、広告も減ったかと思うとそうでもないらしい。ドア横にはよく書籍広告が出ているが、今回たまたま目に入った「ベストセラー」の宣伝には目を疑ってしまった。「大人の語彙力ノート」というタイトルなのだが、内容の一部の紹介として、その「大人の語彙」へ言い換え例らしいのが以下のように並べてあった。

大丈夫です →  問題ございません
手伝ってください → お力をお貸しください
ぶっちゃけて言うと → 有り体に言うと
忘れていました → 失念しました
つまらないものですが → ご笑納ください

・・・・・・??? これはわざわざ本を買って学ぶようなことなのか?ふつうに読書をし、ふつうに仕事をしていれば、ふつうに身に着くレベルの語彙なのではないのか?もちろん、他にもっと高度な?「大人の語彙」が収録されているのかもしれないが、それにしてもこんなサンプルがアイキャッチだなんて。いくら最近の若者のボキャ貧ぶりは酷いといってもねぇ… ? 思わず周りの乗客に同意を求めそうになったが、残念ながら誰も気に留めている様子はない。このブログで私の驚愕をシェアすべく、広告をガン見しながら内容をメモしていた私は、逆に周りにどう見えたろうか(笑)

むろん、私のボキャブラリもたかが知れているのを棚に上げて言えば、読み物として世に出ているはずの文章であっても質はまったくピンキリだ。特にネット上では、個人ブログとは一線を画すはずのウェブメディアにも思わず首をかしげるようなレベルの文章を見かける。ビジネスメールも同じだ。

語彙力、文章力は、良い文章をたくさん読む以外に身に着けようがあるだろうか。「ご笑納」など言葉尻ばかり「大人」になっても、中身が伴わなければかえって失笑をかうだろうと思うが、その可笑しささえわからない人ばかりになったら……

などと、山手線の車内でしがないフリーライターのおばさんは一人案ずるのであった。

(写真:まだまだビル建設が続き外国人だらけの渋谷の街と、そこで久々に食べたナタラジの野菜ビリヤニ)

リアルでいこう

実家で年越しのため、福島駅から新幹線に乗って東京へ向かう。30分も乗らない間に、窓の外は一面、白くなったり茶色くなったりする。今週、福島市内は雪が10センチ以上積もったが、20キロ南の二本松、そのまた20キロ南の郡山はほとんど降っていない。ところがさらに南下して白河、栃木の那須のあたりにくると、再び畑は白くカチカチに凍っている。その辺りから西へ向かい、南会津に入れば、この時期はもう1メートルを超す積雪だ。

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会津の郷土料理こづゆ。正月などハレの席で食べるそうな。

だから、東京の友人に「福島は雪降ってる?」と聞かれても、まず福島県のどこ?と聞き返さねばならない。移住して4年になる私も、いまだに福島の気候はバラエティに富んでいるなあと感心するが、むしろあれだけ広い範囲で似たような天気になる関東平野のほうが、山ぐに日本の中ではレアケースなのであろう。ここに都を築いた家康はやはり先見の明があったのか。福島暮らしを経験すると、お江戸の冬は晴天が多く、温暖で過ごしやすいと感じる。

4月にサラリーマンをやめたら、職場がらみの宴席というものがほぼ皆無となり、したがってこの年末はクリスマスとか忘年会と名の付く外食の機会は2回しかなかった。あとは今月半ばに我が家でこぢんまりと女子会をやったくらいだ。もともと大人数の宴会は得意ではないが、フリーになった今はこれまで以上に努めて人付き合いを拡大しないと、そのうち引きこもりになりかねない。

そのぶん、年末年始の帰京中は、実家孝行の合間に50年来の友人たちとできる限り会う予定にしている。福島でもこの4年間、おかげさまでいろんな人と知り合い、友人もできたが、やはり数からいえば東京のほうがまだ圧倒的に多い。facebook様のおかげで普段からさほど「離れている」という感覚はないが、リアルで会うと決まって「この前会ったのいつだっけ?えーあれってもう2年前?」みたいな話になる。SNSがない時代に一人で地方に移住してたら、かなり孤立感があったのではなかろうか。

仕事の打合わせだって、いまどきskypeとかzoomとかいう便利ツールを使えば大抵の距離は克服できる。そういう意味では地方移住・二地域居住のハードルは確実に下がっていると思う。そのうち忘年会や新年会だってオンライン参加が主流になるかもしれない。

いやいや、お酒はやっぱり生身の人間といっしょに飲むほうがおいしいに決まっている。この正月は、昨年の大病からリハビリを重ねて再び口からの飲食ができるようになった84歳の父と、まずは福島の酒で乾杯だ。新幹線とネットをうまく使い分けながら、来年は引きこもりにならないフリーランスを目指すぞ!それと、もうちょっと本業で稼ぐぞ!(笑)

今年も本ブログにお付き合いくださりありがとうございました。来年も気が向いたら読んでね。

 

 

 

 

リピートあそばせ、ふくしま(その2)

先週末、東京から従妹が遊びに来てくれた。東京の友人たちは代わるがわる訪ねてきてくれるが、考えてみたら母以外の親族の来福は初めてだ。

父は5人兄弟、母は3人兄弟だから、いとこはたくさんいる。子供の頃は年に数回親族で集まっていたと思うが、この20年以上、たまに顔を合わせるのは葬式のときだけという状態が続いていた。それが近年、SNSのおかげで数人と再びゆるくつながることができ、今回の訪問が実現したわけだ。まったくfacebookさまさまである。

リアルで会うのは数年ぶりのAちゃん(といっても彼女も40代)は、貴重な週末を目いっぱい楽しむべく、金曜の夜に仕事を終えてから新幹線に乗って福島入りしてくれた。こういうときに、新幹線停車駅の徒歩圏内にマンションを買っておいてほんとによかったと思う。

さて、どこに連れて行こうか。

山が好きで2年ほど長野に暮らしたこともあるAちゃんだが、なんと福島は初めてだというではないか。山歩きがしたい、もちろん温泉も入りたい。桃も食べたい。美大を出たデザイナーだけに美術にも興味あり。だけど、お城見学や街歩きはしなくて可。ということで、1日目は福島~浄土平~鎌沼散策~フルーツライン~飯坂温泉、2日目は県立美術館~土湯峠~猪苗代湖~郡山と相成った。合間には私が知っている限りの「ちょっとすてきなカフェ」やお土産ショッピングタイムも組み込み、天気にもそこそこ恵まれたので、それなりに楽しんでくれたと思う。

DSCN1788 (2)りんどうが咲き始めた浄土平はいつもながら美しかったし、久々の太陽がまぶしい猪苗代湖では、家族連れやカップルに交じって念願の(!)足漕ぎスワンボートにも挑戦。私自身も旅行者気分で楽しい週末だった。

DSC_1954ちなみに、スワンボートの視界は思いのほか狭く、ハンドル操作がなにげに難しいです。w↓

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というわけで、今回もほぼ定番の観光コースだったのだが、こうして東京からのお客さんを案内する場合、土日の2日間、新幹線駅の発着という条件で旅程を考えると、どうしても直面する現実がある。

浜通りに連れていく時間がないのだ。

もともと原発被災地支援に入った身としては、避難指示の解除が進む浜通りの復興に寄与すべく、そこへ人を連れていきたい気持ちがある。が同時に、来てくれた人には福島が誇る雄大な自然と極上温泉をぜひ楽しんでもらいたい。歴史好きならやっぱりお城や城下町だろう。もちろん、あぶくま山地から海側にだって山も温泉も史跡もあるにはあるのだが、中通り~会津地方の有名どころと比べてどうしても地味なのだ。しかも、新幹線の停車駅からは片道1~2時間かかるため、帰りにちょっと寄る、ということもできない。

浜に連れていくには、リピートしてもらうか、3日以上滞在してもらうしかないのである。

だから、AちゃんもMさんもRちゃんもHさんもIさんもJちゃんもCちゃんもMちゃんもYさんも、みんな、また来てね!

(約1年前に書いた「リピートあそばせ、ふくしま」の記事はこちら。同じようなことを書いてます(笑))

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只見にて、お腹が重たくなった話

只見に行ってきた。

新潟県との境にある福島県只見町は、豪雪地帯として有名である。2年前の冬、雪まつりを見にバスツアーで来たことがあるが、3メートルの積雪の中、人々は文字通り「雪に埋もれて」生活していた。雪に閉ざされるとは、こういうことを言うのか――。それはある意味圧巻ではあったが、個人的に「冬のリピートはないな」と確信したのであった。

DSC_1857だが、町の9割をブナの森林が占めるという只見、夏はさぞ美しいことだろう。ぜひ緑の時期に再訪してみたいと思いつつ、2年以上たってしまった。なにしろ、同じ県内でありながら福島市からはおいそれと日帰りできるような距離ではない。トレッキングを楽しむならできれば2泊したいところなので、実現まで少々時間がかかってしまったわけだ。

今回、2年越しの夢のブナ林&沢歩きも、実は直前の大雨であわや入山禁止というところだったのだが、普段の行いが余程よろしかったと見えて、前日までには通行規制も解除。当日も曇りときどき雨の予報が見事に外れてピーカンに晴れてくれた。

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予め観光協会のサイトで歳の近い女性のガイドさんをお願いしてあったのだが、彼女も関東からの移住組で、以前は編集の仕事をしていたというので、こちらはすっかり親近感がわいてしまい、おかげで安全かつ楽しく只見の自然を満喫できた。感謝。

お宿はもちろん温泉である。もちろん、と書いたが、実は只見には温泉が2つしかないらしい。会津の山の方は至るところでお湯が湧き出ているようなイメージがあったが、場所によっては温泉過疎地帯もあるんだね。その只見の温泉も、最初に掘り当てたのが平成になってからだというから、それほど古くない。宿のお湯は無色透明のサラサラ系だったが、隣の日帰り温泉のほうは黄褐色のトロトロ系で、なかなか良かった。

DSC_1844と、ここまでは私の「想定通り」の只見だったのだが、翌日、只見川の上流に田子倉湖と田子倉ダムという景勝地があるというので、なんの気なしに行ってみたら、なんだかとってもお腹のあたりが重くなってしまった。

森に囲まれた湖は、たしかに景勝地ではある。静かな水面には遊覧船も浮かんでいる。巨大なダムを真横から見るのも、これまた圧巻だ。このダムで水がせき止められて湖ができていることがよくわかる。

DSC_1904が、このダム湖の底には50戸290人の集落が沈んだのだという。

もちろん沈む前に住人はみな他へ引っ越したわけで、そのために死者が出たという話ではないのだが、それでもそのことを知ってしまうと、水の中から声にならない声が聞こえるような気がしてならなかった。

昭和35年になぜこのダムができたかといえば、もちろん首都圏向けの電力供給のためである。ここではいまでもJ-POWER(電源開発)が電気を作っている。田子倉だけでなく、水が豊富な福島の山間地方にはいくつもダムがつくられ、すなわち水力発電所がつくられ、戦後の首都圏への電力供給地となってきた。その歴史はなんとなく知っていたが、そのダム湖の底にはみな多かれ少なかれ、強制的に移住させられた人々の集落が沈んでいるのだということには、思いが至らなかった。

ダム建設中は賑わった只見も、できあがった発電所は期待されたほどの雇用も経済効果も生まず、地域の過疎化は進んだという。一時12,000人を超えた只見の人口は、現在4,400人を切っている。

DSC_1909浜通りで原発事故がおきたとき、「福島第一は東京の電気を作っていたんだぞ!」と、なかば非難に近い言葉が福島の人から発せられたこともあった。そのとき、東京人の私は大いに反発を覚えた。たしかにイチエフは東京の電気を作っていたが、事故がおきたこと自体は一般の東京都民のせいではなかろう、と。

でもその「非難」は、おそらくそういう福島の歴史も踏まえて口をついたのであろう。

「福島は東京の犠牲になってきた」。「都会は地方の犠牲の上に成り立っている」。そういうメンタリティを私は好まなかったし、理論として正しいとも思ってこなかった。が、地方に移住していろんなものを見聞きするうちに、またいろんな本を読むうちに、だんだんと「そういう面もあるのかもしれない」と感じるようになってきている。

そしてそれは、誰のせいでもないのだけれど。


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