なんだか今年はやたらと桜が早い。振り返ってみると、昨年近所の荒川土手で花見をしたのが4月16日だったから、今年は2週間以上早い感じだ。福島市内も、昨日今日あたりは昼間半袖でもいいくらいの陽気だった。普通なら、日本国民みな心おどる桜の季節である。ましてこの冬はいつもより寒くて長かった気がするから、ことのほか春が待ち遠しかった人も多かろう。私も晴れやかな気分で去年と同じような花見の話でも書きたいところなのだが、今年は桜を見るのがつらい。

54年近くも生きていると、親の世代だけでなく同年代の友人の葬式も既に何度か経験している。が、20歳以上も若い友人に急病で先立たれるのは初めてだ。

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私は夜桜の下で酒を飲む花見というのものには大してそそられないのであるが、去年の4月16日、ご近所のSちゃんが誘ってくれて、彼女が出勤する前のモーニング花見というのものをした。朝のまだ少しひんやりした空気の中、荒川土手の満開のソメイヨシノを愛でながら朝食を食べる、というはなかなかオツであった。

そのときの記事にも書いたとおりで、Sちゃんは私とはあながち親子でもおかしくないくらい年が離れていたにもかかわらず、ご近所のよしみでよく付き合ってくれた。我が家の女子会にもほとんど常連で来てくれていたし、何度となく一緒に食事をした。さすがにこれだけ年齢差があると、いわゆるコイバナをすることはなかったが(されてもオバサンは的を得たコメントができないからねw)、話せることはいくらでもあった。最初に会ったのは2015年夏だから大して長い付き合いではない。けれど、もともと二人とも「復興支援」という名目で関東から福島にやってきて、同じNPOの同じプログラムに参加していたこともあるから、共通の話題には事欠かなかったのだ。

Sちゃんは研究者らしく知性のかたまりで、頭の回転は剃刀のようだった。いつだったか、私の書いた数ページの記事をスマホ画面でチラ見した直後、私が内心「ここをもう少しきちんと書けばよかったな」と反省していた部分をズバリと指摘されて驚いたことがある。一方、ルックスも人当たりも剃刀とは正反対で、いつも自分より先に他人のことを考える、困っている人を見ると放っておけないタイプの典型だった。一見ちょっと複雑に曲がっているようで実はとことん真っ直ぐな性根は、独特の「Sちゃんワールド」のおかげでカモフラージュされてしまうこともあったかしれない。彼女はこちらをどう思っていたかしらないが、私はだいぶ歳の離れた妹みたいな感覚で、そんなSちゃんの頼もしさと危うさを一定の距離から眺めていたのだった。ときには年齢を笠に着て説教じみた話もしたと記憶する。

が、近くにいてくれた妹のようなSちゃんは、おひとりさまの私にとってこそ大きな存在だったのだ。いなくなって初めて、私はそのことに気づき始めている。急に逝ってしまったが最期のお別れもでき、ご親族とお会いして形見分けもしていただけたのは、本当に有難いことだった。

こういうときに心を落ち着かせ、気持ちを整理するための方法は人それぞれだと思う。私の場合は、こうして書くことしかできないから書かせてもらいました。Sちゃん、今年は花見ができなくて残念です。短い間だったけど本当にありがとうね。あなたの分まで引き受けられるかどうかわからないけど、ねえさんは残された人生をしっかり生きますよ。合掌。

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ただいまふくしま

こんどは東京駅から新幹線に乗って福島へ向かう。

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実家近くのお宅の金柑

年末年始を1週間ほど川崎の実家で過ごすと心身に異常を来す寸前の状態になっているので、車内で爆睡してリセットする。目が覚めるとちょうど郡山あたりだ。眠い目で窓の外を見ると、右側(東)と左側(西)では空の色が違うのが面白い。彼方が海の西側は青空の面積が比較的多いが、東側の奥羽山脈には雪雲がかかり、白い空の面積が多いのである。ことほど福島の天気はバラエティに富んでいる。

福島駅についたら、三が日に降ったらしい雪の名残がそこここにあったが、道路は乾いていたのでほっとした。同じ中通りでも、たとえば郡山市と比べて福島市内は山に近いため比較的雪が多いのだが、かといって会津ほどの本格的な雪国ではなく、降雪量も除雪も中途半端でいささか気持ち悪い。この時期は何日も雪が降り続かないことを祈るばかりだ。

さて。正月を実家で両親と過ごして心身に異常を来すとは失敬な物言いだとは思うが、いつもの自分の生活ペースと全く違うのだから仕方ない。特に、食べたくない時でも一緒に食べないといけないのは辛い。が、私の母を含め、おそらく世の中の主婦という人々はみな多かれ少なかれそういう食生活を強いられるのだと思えば、主婦になり損ねた私も年に一度くらいは我慢しなきゃ罰があたるだろう。

その両親も、近所に住む甲斐性ある弟と介護サービスのおかげで、なんとか自立した生活ができている。

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今年正月の両親
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昨年正月の両親

昨年と比べてなんとなく余裕が出てきたように見えるのは、気のせいかしらん?(笑)着てるコートが二人とも去年と同じなのはご愛敬。元気で長生き、よろしくお願いしたいものだ。

正月休みは例年通り友人たちとしゃべりまくったが、もっぱら親の介護や病気の話に花が咲くのも例年通り。今年それに加えて盛り上がったのは「陶芸体験でマイ骨壺づくり」である。私の骨は海か山に撒いてほしいので、気の置けない友人2人に、よもや骨壺に入れて墓の下には埋めてくれるな、そんなことしたら化けて出てやる、と念押ししたら、よーし化けて出てくるように骨壺作って入れてやる、という想定外の展開になってしまった。まあ、墓の下でなく飾り棚に置いといてくれるなら、骨の一部くらい小さな壺に入ってもいいか。そんなら3人でおそろいの骨壺つくろうか、ということになり、この春2人には作陶体験がてら福島に遊びに来てもらう予定である。

なんとも楽しみな2018年の始まり始まり!w

とりあえず、振り返ってみました

あー12月だ。師走だ。年末だ。

私はこのクリスマスから正月のホリデーシーズンというものが、なんとなく好きではない。暦の上で1年が終わるからといって、なんだこの大騒ぎ。この浮足立った感じ。

うちはいつもきれいにしてるから特段の大掃除は必要ないし、実家にも毎月帰ってるのでファミリー・リユニオンという訳でもない。長い休みと言ったってたかが知れているし、そもそもフリーになってからは毎日がホリデーみたいなもの。私にとっての年末年始はカレンダーを架け替えて手帖を新しくするくらいで、何も特別なことはないのだ。

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とはいえ、忘年会だの新年会だのという名目で、普段あまり会えない友人たちと会う機会が作れるのはうれしいことである。そして、過ぎた日々を振り返って反省するという行為も、特に私のような人間には折に触れ必要なことであるから、カレンダーが変わるこの時期、それもちょうどいいのだろう。

で、振り返ってどんな1年だったかというと、3月末にサラリーマンを完全にやめてフリーになり、生活がかなり変化したのは確かだ。総じて収入は減りコストが増えたので、年間の収支はトントンか少々赤字と思われるが、まあここまでは一応、想定内ではある。

福島に来てから早くも丸4年になるが、東京の勤めを辞めた時点で、私の中では経済的にどうのというよりも、新しい場所に行き、新しい人に出会い、新しいアイデアを学び、新しいことをやってみる、そういうことが優先であった。今年宮仕えを卒業したのは、それをさらに一歩進めるためだった。

……とか言えば恰好いいが、実はそう用意周到に計画したわけでもない。周囲に恵まれ、運に恵まれ、なんとかなっているだけである。ただ確実に言えることは、移住先でフリーになる前にサラリーマンを3年やっておいてよかった、ということだ。知らない土地でもまず組織に属せば、そこで得られる情報や人的ネットワークはやはり大きい。

そういえば、この4年で知友人の平均年齢は確実に若返った(笑)。若者はみんな東京に行って地方には高齢者ばかり、というのは物事を単純化しすぎ。私の東京の知友人は同年代ばかりだが、こちらでは20代30代とも話すことが多い。向こうはこんなオバサンをどう思っているか知らないが、私にとってはたいへん有り難いことだ。

以上、振り返っただけでちっとも反省してないが、どれだけ考えたところで物事はなるようにしかならない。と思っているような怠惰な人間も「来年の抱負」など捻り出さねばならないような気分にさせられるから、この時期は好きじゃないんだな、きっと。そもそも狩猟採集時代のホモ・サピエンスは…… いや、これ以上の請け売りはやめとこ(笑)。私はそんな世の中に影響されず、来年もその先も、あれこれ悩まず天命を待つだけにしようと思う(開き直りともいう)。もちろん、人事は尽くすつもりだけれどもね。^^

(写真はちょうど7年前の今ごろ訪れた、スリランカ・ニゴンボのホテルのクリスマス飾り。思えばこの後7年間、海外には一度も行ってないわ~)

 

 

 

 

 

 

 

凡庸なる者のつぶやき

福島市内に、あづま総合運動公園というところがある。広大な敷地に野球場やサッカースタジアムをはじめいくつものスポーツ施設が、かなりのゆとりをもって配置されている。緑の芝生の丘が連なる広場やバラ園、木立の中を散策できる遊歩道なんかもあり、ピクニックにはちょうどいい。

都内でも、代々木公園や新宿御苑など、それなりに木が多くて清々しい場所はあるが、福島の何が違うといったら山が間近に見えることだ。しかも週末でも混んでいない。よさげなベンチがいくらでも空席である。

DSC_1445こんなにすてきな場所がうちから車で15分なのだから、もっと頻繁に来ればいいと思うのだが、いつでも行けると思うと存外行かないものだ。

フリーになってからというもの、土日といっても何かしらやるべき仕事がある(有難いことに)。さらに今月からは週に二晩、英語の先生のアルバイトも始めたので、多少はその準備もしないといけない。

でも先週の日曜日は久しぶりに「やるべきことが何もない」日だったので、少々曇りがちではあったが、レジャーシートを引っ張り出し、サンドイッチを作り、コーヒーをポットに入れ、久しぶりにその公園へと向かったのであった。

暑くもなく寒くもなく、心配したほど風も強くなく、イメージ通りの快適ピクニック。この公園からだと吾妻小富士がけっこう近くに見える。よさげな場所にシートを敷き、とりあえず飲み食いしながらぼーっとしていると、一人でゲートボールを練習しているらしいおじいさんが、ボールを打ちながら傍らを通り過ぎる。あちらでは若いカップルがキャッチボールをしているが、女性の方が毎回球を取り逃がすので、途中からゴロになった。

犬連れも歩いている。前回、「この辺では柴犬が多くて洋犬は見かけない」と書いたが、この日見かけた数頭のうち、柴は1頭だけで残りはみんなカタカナ犬であった。シュナウザーとかコーギーとか。やっぱり、ちゃんといるんだねw みんな飼い主と楽しそうに遊んでいる。あぁ平和だ。(でも熊出るらしいから気をつけようね)

DSC_1464サンドイッチを消化したあとは、スマホいじりではなく読書タイム。この日は、図書館で借りた単行本を持ってきた。

いつも行く県立図書館にはふくしま未来研究会という財団からの寄付本コーナーがあって、比較的新刊の本が置いてある。そのセレクションの基準は、おそらく「福島」「移住」「健康」「地域おこし」みたいな感じだと思うが、ドキュメントあり翻訳小説ありレシピ本あり指南書系あり、かなりバラエティに富んでいる。

いつも小説や随筆はほとんど読まないのだけれども、その時はたまたま目についた「漂うままに島に着き」(内澤旬子・著)というエッセイを借りてきていた。著者が東京から小豆島に移住した顛末が、詳細かつ面白おかしく書かれている。内澤さんという人は年の頃は私とほとんど変わらない。しかもシングル仲間。しかも東京からの移住組。しかもヨガのプラクティショナーというので、すっかり親近感がわいた。

単身女性の地方移住は昨今大して珍しくなくても、中年女性となるとがくんと数が減るだろうと思っていたが、内澤さんによるとどうもそうでもないらしい。なんとなく心強い。

その数日前にも、本屋で星野源の「いのちの車窓から」というエッセイ最新刊を買って読んでいた。私はテレビをあまり見ないし、見てももっぱらNHKなので、芸能人やアーティストはNHKに出る人しか知らない。だから私は長らく、星野源という人を「LIFE 人生に捧げるコント」に出てくるコメディアンだと思っていた。でも、実は音楽家でもあり文筆家でもある、ものすごく多彩な著名人なのだということを、さすがの私もどこかで知るに至り、本屋で見かけて初めて衝動買いしたのである。

お二人ともプロなので文章のうまさは当然として、身の回りの出来事や「心の機微」(「いのちの車窓」帯より)を綴ったのがこれだけ興味深いというのは、やはりその人生の濃さというか、経験の幅と深さが表れるからなんだろう。

逆に言えば、エッセイストというのは自分の人生や生活を切り売りするものなのだな、と改めて気づかされた。私とて、こんな「日記」と銘打ったブログを書いてるということは、生活を晒しているのと同じなのだけど、こちらは素人である。基本的には知友人の輪+アルファくらいのリーチしか想定していない。

…いや告白するとね、「いつの日か夢の印税収入」を妄想しないこともないんだけど(笑) でも不特定多数の人の目に触れる前提で固有名詞を使ったエピソードを書くなど、うーむ、私には無理だ。

それ以前に、私の人生はあまりに起伏に乏しい。子どもも産んでないし、せめてバツイチくらいなってみてもよかったがそれも叶わなそうだし。「移住」といっても離島の一軒家で農業始めます、とかではなく、駅前のマンション住まいでサラリーマン(こないだまでは)。客観的に見れば品川から大井町へ引っ越したのと大して変わらないし。個人事業主にはなったが、会社を興そうなどという度胸も才覚もないし。そしてこれは幸いなことだけれど、これまで大病とか事故とか最愛の人の死とか、人生観をガラッと変えるような出来事も何ひとつなかった。こんな私の生活エピソードを、友人ならともかくアカの他人に聞かせても全然面白くないはずだ。ましてや私の「心の機微」など、だれも知ったこっちゃないわね(笑)

いたって凡庸な者のいたって普通の人生。 でも世の中ってそういう普通な人の方が多いじゃん?凡庸だっていいじゃん?

と独りごちて顔を上げると、あづま運動公園の上空は曇って少し肌寒くなってきた。さて、日帰り温泉でも寄って帰るか。

ということで、わが福島移住日記はこの先も淡々と続くのであります。

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50歳からの「正しさ」探し(2)柴犬の話

フリーランスになって、ほぼ好きな時間に散歩できるようになった。

家から数分の荒川土手がいつものコース。このところ暑くなってきたので、昼間でなく朝のうちに歩くようにしている。といっても私の「朝」はせいぜい8時台で、今の時期もう十分陽は高いのだが、それでもその時間だと犬を連れている人と時々すれ違う。

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昨日の朝は2人(2匹)と出会った。どちらも柴犬だった。午後も時間があったので、図書館まで歩いて行った。30分後に出てきたら、目の前のベンチに座っているおじさんの横に、やっぱり巻尾の柴犬がいた。

今日も、車の定期点検を待つ間に散歩していたら、立派なバラに誘われてつい覗いたお宅の庭に、「太郎邸」と書かれたこれまた立派な犬小屋があり、その中のワンコもやっぱり柴犬であった。

その4例をもって、福島の飼い犬は柴犬が多い、と断言するつもりはないが、そういえば、と思い返すと、この辺で出会う犬にカタカナの洋犬は少ない気がする。ミニチュアダックスとかトイプードルとかゴールデンレトリバーとかビーグルとか。そういう類にはこちらに来て3年、道ですれ違った記憶はない。(もちろんいるところにはいるんでしょうけど)

私の実家には常に犬がいた。生まれたときにいたのはボンという黒い雑種。よく覚えていないが、彼はたぶん私が小学校に上がってすぐくらいに死んでしまったと思う。

その後に来たのが柴犬だった。親がペットショップで買ってきた。今ならそんなことはせず、保健所なり保護犬の里親探し会などに行くと思うが、昭和の川崎の一般家庭にそこまでの「意識の高さ」はなかった。三河柴犬という種類で、秀吉の幼名にあやかり「竹千代」と命名された。でも犬を呼ぶのに4音節は長すぎ、ほどなく「タケ」になった。

タケは日本犬らしく独立心が旺盛で、門扉を開けるといつでも逃げ出そうとした。実際逃げ出して父が保健所へ探しにいったことも、一度や二度ではなかったと記憶する。知らない人にはよく吠えて、番犬としては立派だった。飼い主にもあまり媚びへつらった態度はとらない犬だった。たしか16年くらい生きて、最後はヨボヨボになって立てなくなった。当時は「犬の介護」という概念は一般的でなかったので、室外犬だったタケはただ軒下に横たわり、蚊に刺されまくりながら、苦しいよ、喉が渇いたよと鳴いた。昼ならスポイトで水を口に運んでやったが、夜はどうしようもなかった。ある日、仕事から帰ったら死んでいた。まだ体は温かかった。

この話をすると、いまでも涙が出る。犬好きの人なら一緒に泣いてくれるだろう。

でも犬や猫の死は悲しくて、ゴキブリやハエの死は一向に悲しくないのはなぜか。理由もなく猫を殺したら動物愛護法違反になるのに、ゴキブリを殺してもなんの罪に問われないのはなぜか。食べ物になる動物は殺してもいいのに、人間を殺してはいけないのはなぜか。

新しい問いではない。でも、小さな子どもにそう聞かれたら、果たして自分はなんと答えるのだろう。

そんなことも、自分の「正しさ」の由来を考えるきっかけなのかなと。


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