おいしいTKGを食べて学んだこと

今日の福島市は、ここ数日のジトジト雨と打って変わってカラっとさわやかな快晴。雨の間はほぼ一日中、家にこもってPCに向かっていたので、今日は午後一のオンラインミーティングが終わったらとにかく一度外に出ようと決めていた。

普通ならいつもの荒川土手の散歩くらいで終わるのだが、今日はたまたまフェイスブックで近所の飲食店のイベントを発見。こだわりの養鶏農家さんのお話を聞いたあと、おいしい卵かけご飯(通称TKG)が食べられて卵のお土産ももらえる、というのにつられて直前に電話して滑り込む。

その卵の話でびっくりしたのは、我が福島市は卵の購入額が日本一なんだそうな!家に帰って統計局のサイトで調べてみると、たしかに僅差で日本一。ついでに納豆の購入額も、あの水戸市を押さえて日本一。へぇー。たしかに私自身、卵も納豆もよく食べる。ただ、それは私が準ベジタリアンで他にタンパク源がないからだと思っていたが、まったく関係ない様子。

たまご、納豆キャプチャ

出典:統計局 なるほど統計学園「あなたの地元が日本一!」

そして桃に至っては、2位の岡山市を倍以上引き離してダントツトップ。なぜかこれだけ購入額ではなく購入量だが、なんと全国平均の6倍もの量を消費している(しかし、量がこれだけダントツでも額が1位でないということは、単価がとてもリーズナブルということか)。福島市は桃で売り出そうとしているので、まずは市民が身銭を切って消費しているわけですなぁ。たしかに「福島(市)の桃」は、市民が県外に季節のギフトを贈る際の定番にもなっている。

桃、お菓子キャプチャ

ちなみに、桃の右にあるのが「他の菓子」でこれも全国一。「その他」というからにはおそらくチョコレートとかせんべいとかカテゴリが分かれてるのだろうが、このサイトでは抜き書きしてあるのでわからない。一方、福島市の広報2月号を見ると、菓子総合で福島市民の購入額は全国3位だそうである。たしかに、市内のコンビニでバイトしている関東出身の友人は「この辺のお客さんの菓子を買う量ハンパない」と証言していた。

ちなみに、同じ広報誌によると、福島市民は塩の購入額も全国7位と多いほう。つまりは味の濃いものが大好きな市民であり、必然的に?メタボ該当者割合も全国平均の14.4%を大きく上回る17.8%だそうな。いくら卵や納豆たくさん食べてもダメなのねぇ(笑)たしかに健康保険税も高いしねぇ(泣)

都会から「地方」にいけば自動的に健康的な食生活ができるかというと、それはまったくの幻想だ。自家菜園の収穫物で100%自炊を貫くという生活ならともかく、中食・外食を織り交ぜる場合、バリエーション少ないからいつも同じものになり、それもマジョリティが好む濃い味のものしかない。おまけに車社会で歩かないし、よほど気をつけないとむしろ東京より不健康だと思う。

TKG

そんなことを知り、考える機会となった、今日のTKGイベントでありました。(写真は、1つ100円のこだわり卵を麦飯に載せたTKG。白身と黄身を分けて載せ、最初は別々に味わうのが生産者さんオススメ。さすが、特に黄身のトロミが別次元。ごちそうさまでしたー)

追記:福島市民は、普段から1個100円という高級卵ばかりを食べているから購入額が日本一なのでは?と思われた方。たしかに放し飼い&こだわり飼料で高級卵を生産している農家さんは、今回のTKGイベントのゲスト以外にも県内に何軒かあるのは存じ上げているが、市内の産直やスーパーで売っているのはごく普通の、1個20~40円くらいのものだ。思い当たるのは、福島市は温泉が多く温泉卵が量産されているので、温玉の消費量が飛びぬけているのではないか、ということ。そういえば、スーパーにも普通の卵と同じくらい温泉卵が置いてある。ということで、福島市のお土産は温泉卵もぜひどうぞ!

 

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国鳥キジはなんと鳴く

近所の散歩コースである荒川土手には、ところどころに大きな木や茂みがある。今の時期、その中からはなんとも擬音化の難しい、いろんな鳥の鳴き声が聞こえてくる。

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名前が分かっているのは、まずカッコウだ。カッコウは日本語では「カッコー」と鳴くことになっている。しかし、私にはどうもそうは聞こえない。あえて書けば「ヒョッホー」だろうか。東京時代の私にとって、カッコウの鳴き声は優雅なマウンテンリゾートの休日とワンセットだったのだが、こちらに来たら意外に人里にもいることが判明し、若干興ざめしたと言えなくもない。

そして「キジ」。桃太郎の家来は「ケーン」と鳴いたらしいが、これまたどうやってもそうは聞こえない。めったに姿を見せないので、最初、人から音だけで「あれがキジだよ」と言われたときは、自分が理解しているキジとは別物なのではないかと思ったくらいだ。カッコウよりも擬音表現が難しく、鶏が首を絞められたような、としか言いようがない(といっても鶏が実際に首を絞められた声を聞いたことがないから、これも違うかもしれない)。

もちろん擬音化に限界はあるが、たとえば猫がニャーで犬がワンなのには、少なくとも日本人なら大抵合意するであろう。コケコッコーも、まあ近いと思う。しかしなぜあれがケーンなのか?理解に苦しむ。

ほかにも茂みや草むらからはいろんな鳴き声がする。鳥の専門家の間には、そのすべてに共通の擬音化表現があるのだろうか。チュンチュン、カーカー、ピーチクパーチク、鳥の言葉はわからないが、こちらは「おはよう」とか「どこいくの」とか人間語でコミュニケーションを試みる。あちらにはどう聞こえてるんだろうねw

今朝の福島市より

数日前の福島市はたしか全国で2番目に暑い33度なんちゃらだったのに、昨夕は冷えた。今朝の吾妻連峰はうっすら新しい雪を被っている。

こう気温差が激しいと、衣替えのタイミングも悩ましい。収納に余裕があれば、薄手のセーターくらいは仕舞いこまずに通年プレーヤーにしておくのが正解なのだろう。薄着のままでいたら何年ぶりかで風邪をひいてしまったらしく、薬箱の奥から葛根湯をひっぱり出して飲み、とりあえず大人しくしている。

寒暖の差という意味で福島県の中通り、特に山に近い北部は気象条件が厳しい。対して浜通りは相対的に気候がマイルドだ。中でも南部のいわきは、北部の浪江や相馬と比べても気温差が小さい。夏は涼しく冬は暖かいだけでなく、昼夜の気温差も少ないのだ。毎日の天気予報で県内各地の気温を見ていると、いわきが東北のハワイと呼ばれる(自称?)意味がわかるような気がする。

原発事故で中通りへ避難してきた人たちが、段々と浜へ、特にいわき方面へ戻っていくのは、気候面での暮らしやすさも関係していると思う。

私個人としては、しかし、衣替えに困ろうと風邪を引こうと、この高く美しい山並みが見えないところでの暮らしは、なんだかもう考えられないのであーる!

花摘みの季節

先週から桃の摘花のアルバイトが始まった。今年の桜は去年より2週間早かったが、桃も同じくらい早いペースで咲いている。来週はサクランボの授粉だろう。

同じ農業でも米や野菜と違い、果樹は足元が泥だらけにはならないので長靴をはかなくてよい。基本的にはかがむ姿勢もなく、むしろ背伸びをしたり脚立にのる作業だから、比較的身体は楽だと思うのだが、それでも最初の2~3日は腰が痛くなって我ながら驚いた。大きな木だと1本の花を摘み終えるのに数時間かかるが、その間の脚立の乗り降りでバランスをとるのに、下腹部に力が入らない、すなわち骨盤底の筋肉が衰えているから腰に来るのだ。ヨガ風にいうとバンダが全く使えてない状態(笑)。身体というのは使わないとどんどん退化するのが恐ろしい。

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そのバイトから帰ってきて、昨日も今日もすぐお風呂に入った。昨日は冷たい雨で身体が冷えたから。そして今日は暑くて汗をかいたから。なんだって最高気温が10度以上違う。もともと福島は東京などと比べて昼夜の寒暖差が大きく、それで果物はきれいに色づいたり甘くなったりするんだそうだが、こう変化が激しいと人間がついていくのはなかなか大変である。

たまに図書館で、東洋経済とかダイヤモンドとかのいわゆるビジネス誌をざっとまとめ読みするのだが、そういう本に出てくる経済専門家の人たちは、少子高齢化が進む日本経済の今後の鍵を握るのはイノベーションだという。イノベーション=テクノロジーというわけではないが、やはりAIとかロボットを含めた技術革新に期待する部分は大きいと思われる。先日読んだ号でも、物流や小売、医療や介護などの現場で進む自動化・省力化の例が紹介されていた。

そこで、どうしても思ってしまう。桃の花の向きを見て、枝の太さや枝の込み具合を見て、その枝にいくつの花を残すかを決め、花芽の脇から出ている葉を傷つけないようにして花を摘んでいく。この作業を、AI搭載の摘花ロボットが学習して完璧にこなせる日がくるのだろうか……

なんだか今年はやたらと桜が早い。振り返ってみると、昨年近所の荒川土手で花見をしたのが4月16日だったから、今年は2週間以上早い感じだ。福島市内も、昨日今日あたりは昼間半袖でもいいくらいの陽気だった。普通なら、日本国民みな心おどる桜の季節である。ましてこの冬はいつもより寒くて長かった気がするから、ことのほか春が待ち遠しかった人も多かろう。私も晴れやかな気分で去年と同じような花見の話でも書きたいところなのだが、今年は桜を見るのがつらい。

54年近くも生きていると、親の世代だけでなく同年代の友人の葬式も既に何度か経験している。が、20歳以上も若い友人に急病で先立たれるのは初めてだ。

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私は夜桜の下で酒を飲む花見というのものには大してそそられないのであるが、去年の4月16日、ご近所のSちゃんが誘ってくれて、彼女が出勤する前のモーニング花見というのものをした。朝のまだ少しひんやりした空気の中、荒川土手の満開のソメイヨシノを愛でながら朝食を食べる、というはなかなかオツであった。

そのときの記事にも書いたとおりで、Sちゃんは私とはあながち親子でもおかしくないくらい年が離れていたにもかかわらず、ご近所のよしみでよく付き合ってくれた。我が家の女子会にもほとんど常連で来てくれていたし、何度となく一緒に食事をした。さすがにこれだけ年齢差があると、いわゆるコイバナをすることはなかったが(されてもオバサンは的を得たコメントができないからねw)、話せることはいくらでもあった。最初に会ったのは2015年夏だから大して長い付き合いではない。けれど、もともと二人とも「復興支援」という名目で関東から福島にやってきて、同じNPOの同じプログラムに参加していたこともあるから、共通の話題には事欠かなかったのだ。

Sちゃんは研究者らしく知性のかたまりで、頭の回転は剃刀のようだった。いつだったか、私の書いた数ページの記事をスマホ画面でチラ見した直後、私が内心「ここをもう少しきちんと書けばよかったな」と反省していた部分をズバリと指摘されて驚いたことがある。一方、ルックスも人当たりも剃刀とは正反対で、いつも自分より先に他人のことを考える、困っている人を見ると放っておけないタイプの典型だった。一見ちょっと複雑に曲がっているようで実はとことん真っ直ぐな性根は、独特の「Sちゃんワールド」のおかげでカモフラージュされてしまうこともあったかしれない。彼女はこちらをどう思っていたかしらないが、私はだいぶ歳の離れた妹みたいな感覚で、そんなSちゃんの頼もしさと危うさを一定の距離から眺めていたのだった。ときには年齢を笠に着て説教じみた話もしたと記憶する。

が、近くにいてくれた妹のようなSちゃんは、おひとりさまの私にとってこそ大きな存在だったのだ。いなくなって初めて、私はそのことに気づき始めている。急に逝ってしまったが最期のお別れもでき、ご親族とお会いして形見分けもしていただけたのは、本当に有難いことだった。

こういうときに心を落ち着かせ、気持ちを整理するための方法は人それぞれだと思う。私の場合は、こうして書くことしかできないから書かせてもらいました。Sちゃん、今年は花見ができなくて残念です。短い間だったけど本当にありがとうね。あなたの分まで引き受けられるかどうかわからないけど、ねえさんは残された人生をしっかり生きますよ。合掌。