国鳥キジはなんと鳴く

近所の散歩コースである荒川土手には、ところどころに大きな木や茂みがある。今の時期、その中からはなんとも擬音化の難しい、いろんな鳥の鳴き声が聞こえてくる。

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名前が分かっているのは、まずカッコウだ。カッコウは日本語では「カッコー」と鳴くことになっている。しかし、私にはどうもそうは聞こえない。あえて書けば「ヒョッホー」だろうか。東京時代の私にとって、カッコウの鳴き声は優雅なマウンテンリゾートの休日とワンセットだったのだが、こちらに来たら意外に人里にもいることが判明し、若干興ざめしたと言えなくもない。

そして「キジ」。桃太郎の家来は「ケーン」と鳴いたらしいが、これまたどうやってもそうは聞こえない。めったに姿を見せないので、最初、人から音だけで「あれがキジだよ」と言われたときは、自分が理解しているキジとは別物なのではないかと思ったくらいだ。カッコウよりも擬音表現が難しく、鶏が首を絞められたような、としか言いようがない(といっても鶏が実際に首を絞められた声を聞いたことがないから、これも違うかもしれない)。

もちろん擬音化に限界はあるが、たとえば猫がニャーで犬がワンなのには、少なくとも日本人なら大抵合意するであろう。コケコッコーも、まあ近いと思う。しかしなぜあれがケーンなのか?理解に苦しむ。

ほかにも茂みや草むらからはいろんな鳴き声がする。鳥の専門家の間には、そのすべてに共通の擬音化表現があるのだろうか。チュンチュン、カーカー、ピーチクパーチク、鳥の言葉はわからないが、こちらは「おはよう」とか「どこいくの」とか人間語でコミュニケーションを試みる。あちらにはどう聞こえてるんだろうねw

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今朝の福島市より

数日前の福島市はたしか全国で2番目に暑い33度なんちゃらだったのに、昨夕は冷えた。今朝の吾妻連峰はうっすら新しい雪を被っている。

こう気温差が激しいと、衣替えのタイミングも悩ましい。収納に余裕があれば、薄手のセーターくらいは仕舞いこまずに通年プレーヤーにしておくのが正解なのだろう。薄着のままでいたら何年ぶりかで風邪をひいてしまったらしく、薬箱の奥から葛根湯をひっぱり出して飲み、とりあえず大人しくしている。

寒暖の差という意味で福島県の中通り、特に山に近い北部は気象条件が厳しい。対して浜通りは相対的に気候がマイルドだ。中でも南部のいわきは、北部の浪江や相馬と比べても気温差が小さい。夏は涼しく冬は暖かいだけでなく、昼夜の気温差も少ないのだ。毎日の天気予報で県内各地の気温を見ていると、いわきが東北のハワイと呼ばれる(自称?)意味がわかるような気がする。

原発事故で中通りへ避難してきた人たちが、段々と浜へ、特にいわき方面へ戻っていくのは、気候面での暮らしやすさも関係していると思う。

私個人としては、しかし、衣替えに困ろうと風邪を引こうと、この高く美しい山並みが見えないところでの暮らしは、なんだかもう考えられないのであーる!

電車という学び場

ゴールデンウィークは例年どおり川崎の実家で過ごした。首都圏ではどうしても電車の移動が主になる。福島でもたまにローカルの東北本線に乗るが、なんだか同じ乗り物とは思えないくらい車内の趣きが違うので、久しぶりに山手線や京浜東北線に乗ると発見がある。

まず、席に座って前に人が立つという事態が新鮮だ。そこで、相手のお腹から下のあたりを眺めることになるわけだが、顔を見なくても年齢ってわかるものなのだと改めて気づく。どこでわかるかといえば、下腹と足元だ(女性の場合)。着ているものや靴のデザインは関係ない。全体には痩せ型であっても、なぜかそこだけポッコリと突き出た下腹。そして足の甲に浮き出た血管。自分はやはり、なるべく下腹が目立たない服を着て、足の甲が見えない靴を履こうと思った。

もうひとつ、東京の電車内の広告量はローカル東北本線の比ではない。最近はみなスマホに夢中だから、広告も減ったかと思うとそうでもないらしい。ドア横にはよく書籍広告が出ているが、今回たまたま目に入った「ベストセラー」の宣伝には目を疑ってしまった。「大人の語彙力ノート」というタイトルなのだが、内容の一部の紹介として、その「大人の語彙」へ言い換え例らしいのが以下のように並べてあった。

大丈夫です →  問題ございません
手伝ってください → お力をお貸しください
ぶっちゃけて言うと → 有り体に言うと
忘れていました → 失念しました
つまらないものですが → ご笑納ください

・・・・・・??? これはわざわざ本を買って学ぶようなことなのか?ふつうに読書をし、ふつうに仕事をしていれば、ふつうに身に着くレベルの語彙なのではないのか?もちろん、他にもっと高度な?「大人の語彙」が収録されているのかもしれないが、それにしてもこんなサンプルがアイキャッチだなんて。いくら最近の若者のボキャ貧ぶりは酷いといってもねぇ… ? 思わず周りの乗客に同意を求めそうになったが、残念ながら誰も気に留めている様子はない。このブログで私の驚愕をシェアすべく、広告をガン見しながら内容をメモしていた私は、逆に周りにどう見えたろうか(笑)

むろん、私のボキャブラリもたかが知れているのを棚に上げて言えば、読み物として世に出ているはずの文章であっても質はまったくピンキリだ。特にネット上では、個人ブログとは一線を画すはずのウェブメディアにも思わず首をかしげるようなレベルの文章を見かける。ビジネスメールも同じだ。

語彙力、文章力は、良い文章をたくさん読む以外に身に着けようがあるだろうか。「ご笑納」など言葉尻ばかり「大人」になっても、中身が伴わなければかえって失笑をかうだろうと思うが、その可笑しささえわからない人ばかりになったら……

などと、山手線の車内でしがないフリーライターのおばさんは一人案ずるのであった。

(写真:まだまだビル建設が続き外国人だらけの渋谷の街と、そこで久々に食べたナタラジの野菜ビリヤニ)

福島は春がいい

山菜の季節だ。果樹農家の手伝いの日は畑の近所の蕎麦屋でお昼を食べるのだが、一昨日は「一日限定15食タラの芽の天ぷら」という看板が出てたので、ざると一緒に迷わず注文。そしたらこんなにデカいのが出てきて驚いた。↓

食べ切れないので半分はティッシュに包んで持ち帰り、夕飯のビールのお供になった。

山菜は天ぷらがいちばん好きかもしれない。昔は家で揚げ物をしていたこともあるが、おひとりさまは油の処理に難儀してほどなくギブアップ。いずれにせよ、天ぷらはたっぷりの油でプロが揚げたやつの方がおいしいと思う。

そういえば、二本松に住んでいた頃は、近所を散歩中にフキノトウを摘んでフキ味噌なんか作ったこともあったっけ。でも新幹線駅近の現居住地ではさすがにそういう楽しみはお預けだ。

2週間ほど季節が前倒しの今年は、産直に山菜が出回るのも例年より少し早いようで、今日買い出しに行ったら既にウドだのウルイだのが棚の一角を占領していた。

この時期の果樹農家さんはただでさえ摘花と授粉で忙しいのだが、今年は桃とサクランボとリンゴといっぺんに花が咲いてしまって大変である。

でもお気楽なアルバイトの身としては、この景色を眺めながらの作業はまさに役得。なんだかもう吾妻連峰が見えない場所や、特大タラの芽が食べられない場所では暮らせないような、そんな気になる福島の春なのだった。

追記:最初、「福島は木の芽時がいい」というタイトルにしたのだが、「木の芽時」の定義を1カ月ほど間違えていたことが判明し、翌日訂正。あ~恥ずかし~ f^^;